ACT.6





 2時。
 実はもう1組、新宿で大騒ぎしているふたり組がいた。
「左之助、もう帰ろう!な!」
「やだ!」
 原田の酔い方は日によってまちまちで、朝までコースでもやけに大人しいこともあれば、暴走してテーブルにダイビングすることもある。今晩はダイビングに当たってしまった。原田のおかげで2軒目を追い出された永倉は、困りながらも歌いながら街をゆく原田の後を追いかけた。この友人はどうやら、仕事で失敗して落ち込んでるらしい。他の誰も知らないだろうがこれで意外と繊細なのだ。社内の連中のことも吃驚するほどよく見てる。人のことを我が事のように思い悩む。まあ、悩むだけでイマイチ行動が伴わないが。
 …いざとなったらタクシーに放り込んで玄関に捨ててくればいい。
 何だかんだと原田に甘い永倉は、ひとりなら充分面倒をみれると高をくくっていたのだ。まさか数秒後に酔っぱらいがふたりになるとは露知らず。
「あ、喧嘩だ!新八ちゃん喧嘩だ!混ざろう!」
「馬鹿、関わるな面倒くさい」
 表通りを1本入った路地裏で男数人の乱闘だ。こんな時でなければ「おまえたち!何をしている!」などとわりと颯爽と仲裁にはいる永倉だが、今夜は原田の襟首をひっつかんでさっさとその場を離れようとした。
「…おい新八ちゃん。土方だぜあれ」
「ああ?そんな訳」
 言いかけた永倉は飛んできた罵声に思わず眩暈を覚えた。
「てめえら俺がどこの誰だか知って喧嘩うってやがんのか!」
 ああ知ってるともさ、土方だ。我が社の暴れん坊将軍だ。今日は厄日か。
 土方の喧嘩の腕は有名だが、喚いた呂律が相当怪しいうえに相手が多い。別に土方なんぞそのへんでのたれ死んでくれても一向構わないが、警察でも呼ばれたら会社の名前に傷が付く。近藤さんが悲しむ。
「…いけ、左之助」
「はーい!」
 酔っぱらいは妙に強い。飛んで入った原田が数名殴り倒す間に、永倉は土方の腕を掴んで群れの中から引っ張り出した。
「あ、てめ、何だ永倉!邪魔すると殺すぞ!」
 あーうるさい。
 案の定土方は頭の上から酒瓶でもひっくり返したみたいに酒臭い。こんなところで荷物が増えるとは思わなかった。
「左之助、もういいぞ」
「はーい!」
 原田が殴り倒した連中が起きあがってこないうちにと、永倉は右手に土方、左手に原田を「持って」足早にその場を離れた。気分は中学校の引率教師だ。土方は一声怒鳴ってしまうと気が抜けたのか、案外大人しく着いてきた。口の端が派手に切れて血が滲んでいる。中身と反比例して顔立ちが整ってるだけに痛々しい。実に気にくわない男だが、永倉はちょっぴり同情した。
「…土方さん、あんたらしくもないな。酔ってチンピラに絡むようなつまらない喧嘩する男じゃないだろう」
「ほっとけ」
 するんじゃなかった。
「どしたの副長、なんかあったの〜?悩みなら聞いてあげちゃうよ〜?」
「失恋した」
 ふたりは土方のほうが驚くほどの勢いで振り返った。言った土方は何を言ったかよく分かっていなかったが、今の自分の気持ちを表そうとすると、何だかそれに一番近いような気がしたのだ。
「失恋!?え?マジ?何?ほんとに?」
「なんだ土方さん、あんたに本気の相手がいたのか!?」
「…いちゃ悪いか」
「なんだ!そっか!俺副長誤解してたよ!あ、そう!そうなんだ!うわ〜嬉しいなあ!」
「…あんたにもそういう人間的な心があったんだな。いや、見直した。私も嬉しい」
 人が失恋したと言ってるのに何でふたり揃って嬉しがるんだ。
「おまえらそんなに人の不幸が楽しいか!」
「分かった副長!もう何も言うな!今日は俺らととことん呑もう!俺が奢っちゃう!」
「そうだな。土方さん、そのへんでもう一杯」
 あ、しまった。
 と思った時には暴徒と化したふたりに店を壊されたマスターに3軒目を追い出され、完全につぶれたふたりを抱えた永倉は路上で途方に暮れる羽目になっていた。

3時半。
耳元で鳴った電話のベルに、新見は反射的に手を延ばした。
「…はい」
『あれ?…永倉ですが…芹沢さんのお宅では?』
 しまった。新見は慌てて送話口を押さえ、芹沢がびくともせずに寝ているのを確かめてベッドから滑り降りた。
「…本人は寝てる」
『ああ!新見さんか。夜分誠に申し訳ない。芹沢さんなら起きているかもしれないと思ったんだが』
 新見と永倉は会社でも事務的な会話しか交わさないが、必要以上に人に干渉しない態度にお互い何となく好感を持っていた。今も永倉は「何故新見さんがそこに?」などと余計なことは聞かない。
「…先生はちょっと起きそうにないな」
 寝起きが怖いから起こしたくもないしな。
『実は今新宿なんだが、土方さんをうっかり酔い潰してしまって。こんなところに放り出して置いたら身ぐるみ剥がれるか凍死する。ひとりなら私がなんとかするんだが、原田もいるもんだから手に負えなくて、つまり、要するに、私を取り巻くこの状況が分かって頂けただろうか』
「私があんたでなくて良かったと心から思う」
『…そう。そういう悲惨な状況です。だが近藤さんを叩き起こすのも気がひけるし総司は携帯切ってるし』
「山南は」
 永倉は一瞬絶句した。
『………山南さん?』
「言ってみただけだ。場所は」
『はい?』
「社員の住所はナビに登録済だ。車飛ばすから20分みてくれ」
『…それは…助かるが』
「どうせ眠れなかった。気晴らしにちょうどいい」
 土方と会ってみたい気にもなった。会話ができるかどうかは疑問だが。もの凄い勢いで御礼を繰り返す永倉との通話を切ると、新見はそのへんに散らばってた服を掻き集め、芹沢の鞄に手を突っ込んでキーを抜き出した。
「先生、車借りますよ」
 玄関で靴を引っかけたところでベッドの中から「物好きだな」と声がした。
 …ああ。まったくだ。

 永倉は完全に正体不明のふたりを足下に転がして、所在なさ気に新見を待っていた。運転席からそれを見た新見は、ぱっと見分からない程度に微笑った。本当に気の毒なことだ。
「原田のほうは任せて平気か?」
「ああ、こっちは慣れてるんで、どうとでも」
 後部座席にふたりして土方を放り込むと、永倉は再び頭を下げた。
「恩にきます新見さん。本来なら荒れた土方さんなんぞと呑んだりしないんだが、何だか失恋」
 永倉ははっと口を噤んだ。新見は聞こえなかったふりで運転席に座った。…失恋ねえ。
「また会社で」
「ええ。芹沢さんにもよろしく」
 新見は土方がドアに頭をぶつけるのも構わず、勢いよくアクセルを踏んだ。冬の夜明けはまだ遠い。

 4時。
「起きたか」
 土方はシートに両手をついて起きあがり、子供のように目蓋をごしごし擦った。
「吐くなよ。先生の車だ」
「………はい」
 状況が把握できないまま、それでも一応返事する様が会社の鬼っぷりとあまりにも対照的で、新見はミラーを見ながら笑いを堪えた。
「……なんだ。にいみさんじゃねえか」
「家まで送るんでいいのか」
「…え?」
「それとも山南んちか」
「…なに?」
「勘だ。どっちでも方向は同じだ。しばらく悩め。できればもう寝るな」
 返事はなかったが、新見は気にせずハンドルを切って追い越し車線に出た。工事中の赤いランプが見える。土曜の明け方はまだ道が混んでいる。おまけに道路工事と来たら土方を落とすまでにあと30分はかかる。
 しばらく窓の外をぼんやり眺めていた土方は、ようやく「なんでにいみさんが」と言った。
「成り行き」
「…ありがとうございます」
「永倉に言え」
「…言い損だった」
「気分は」
「…最悪」
「失恋したってのは?」
「……」
「山南か?」
「……ちょっと待てよ?」
「好きなんじゃないのか」
 土方は新見に何をどう言い返そうかとしばらくこめかみを親指で揉んでいたが、結局「分からねえ」と呟いた。
「分からないのか」
「…もし世の中でひとり殺していいと言われたら、俺は山南を殺すと思う」
 空が群青から薄紫に変わった。新見は窓を細く開け、ドアポケットに突っ込んであった芹沢の煙草を一本抜き出した。
「私なら芹沢先生を殺す」
 ミラー越しに土方がこっちをじっと見たので、新見はミラーの角度を拳で殴って変えた。
 土方から見ると芹沢は、いつ見てもつまらなそうな顔をしている。酒を呑んで笑っていても人をぶん殴っていても、別のところを見ている。
「…私の機嫌が悪い時や苛々してる時や憂鬱な時や寂しい時や酔って潰れたくなる時は全部芹沢のせいだ。今風邪気味なのも芹沢のせいだ」
 最後のは何だろうと土方は思ったが、黙っていた。
「あの人さえいなければと毎日思う。殺してやろうかと毎日思う。死んでくれないかと毎日思う。朝起きてあの人がいなければどんなに楽かと思う。私から憂鬱も不機嫌も消えてなくなる。泣くこともない。怒ることもない。でもあの人が消えたら他のものも全部消える。嬉しいことも笑うことも全部だ。この世に何もなくなる。何もないところで生きてどうする」

 …俺をいらいらさせてる張本人に言われたくねえよなあ。
 るんるんさせる張本人も大概私だと思いますけど。

 あれは。
「…新見さん」
 山南は知ってたんじゃないのか。
 知ってたんじゃないか。
 俺が、全部、あんたのせいだってことを。
「…下世話なことを聞くが、芹沢さんとは、その、そういう付き合いか?つまり最後までいったのか」
 言ってから土方は自分の失敗に気がついた。新見はまったく表情を変えず、煙を土方めがけて吐き出した。
「失望したぜ土方。おまえいくつだ」
「…なに」
「最後ってなんだ?セックスか?あんなもんが最後なら誰も苦労しない。あんなのは最初だ」
 本当だ。

 4時半。
 車が止まった。土方はあちこち痛む体を引きずって、何も考えずに車を降りた。
 そうしてから自宅の前でないことに気付いた。
「おい!」
 新見は無言でバンと戸を閉めた。
「ちょっと!新見さん!」
 運転席の窓をゴンゴンノックすると、新見は相変わらずの無表情で窓を下ろした。
「近所迷惑だろう」
「頑張れよ」
「おまえだよ」
 新見はエンジンを鳴らすと、見事な加速であっという間に見えなくなった。土方はまだ痛むこめかみを揉みながら腕時計を見た。始発まで、1時間。
 …面倒くせえな。考えるの。
 土方は目の前のばっちりオートロックなマンションを見上げ、首の骨を鳴らしつつ裏に回って、周囲に人がいないのを確かめてから2メートルちょいの階段の手摺りを乗り越えた。それから2階まで上がって廊下を進み、角部屋の呼び鈴を押した。俺が起きてるんだからこいつも起きてる。多分。
「……土方くん」
 出てきた山南は、どう見ても午前4時半に叩き起こされたふうではなかった。
「どうしたんです」
「気がついたらここにいた」
 土方にとっては物理的な事実だったが、どう聞いてもそう聞こえないセリフだった。まあいい。
 山南はしばらく土方を上から下まで眺めてから、自分の口の端を指した。
「…ここはどうしたんです」
「全然覚えてない」
「…だいたい分かりました」
「そうか。よかった。俺は何が何だかまったく分からない」
「とりあえず、中に入ってシャワーを浴びて傷の手当てをしてぐっすり寝たらいいと思う」
 土方はしばし考えた。
 この嘘つきな男が今まで自分に言ったセリフの中で、もっとも正しいセリフだと思った。
 もっとも優しいセリフだ、とも。
「…そうする」

 5時。
 新見は車をガレージに入れると、白い息を吐きながらエントランスをくぐって芹沢の部屋のノブをそっと回した。ちゃんと、開いていた。部屋の中はまだ暗く、新見はそっと靴を脱いでキーを鞄に戻し、寝室を覗いた。芹沢は自分が出ていった時と同じ場所で寝ていた。もう隣に誰もいないんだから真ん中で寝ればいいのに。
「…先生、車戻しときましたから。それじゃ」
「もう少し寝てけ」
 新見はしばらく突っ立っていたが、じゃあと上着を脱いでまたベッドに潜り込んだ。
「ご苦労様」

 …別にあんたにご苦労様と言われる筋合いないけど。
 ないけど、ありがとう。
 
 
 



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