「あ、芹沢さんだ」
「芹沢さーん!」
…何故俺はガキに懐かれまくるんだろう。
芹沢は満面の笑みで飛んできた沖田と藤堂を両手を広げてがしっと受け止め、そのまま病院の正面玄関の脇の植え込みめがけて投げ捨てた。
「ちょ…!ひどい芹沢さん!」
「うるせぇ。馬代わりだ」
「は?」
「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ぬんだよ。今すぐ仕事に戻れ」
芹沢が土曜の夜に山南を迎えにいったのは、単に新見が希望したからだ。あのふたりの恋の行く末など芹沢には一向に関心がなかったし、そもそも誰かにお膳立てしてもらわないと先に進めない恋路なら進まなきゃいい。会議の席で井上を牽制したところでお節介は終えたつもりだ。後は知ったことか。
ところが会議終了後、山南がふらふらと宣伝部にやってきた。
「せりざわさーん」
平仮名だ。
編集の連中はそのへんで寝るせいで概ね服装がラフなのだが、普段なら糊のきいたシャツをビシッと着こなしボタンをきっちり上まで止めている山南が、Tシャツの上にヨレヨレのネルシャツをひっかけている姿は社内の連中の目を釘付けにした。
「なんなんだおまえ」
「土方くんのところまで送ってもらえませんか。沖田くんにはちょっと、送ってもらえそうにないので」
芹沢は少し驚いた。意地を張って何が何でも行かないつもりかと思ってた。
「…素直じゃねえか」
「何が?」
とろとろした山南に突っ込む気も失せて、芹沢は病院まで山南を乗せてきた。その間山南は助手席でぐーぐー寝ていた。命の危機を乗り切った想い人との感動的な再会、を待ち望むような態度ではない。
何考えてんだかさっぱり分かんねえ。新見が土方、俺が山南の運転手か。いったいこいつら何様だ。
しかし今現在沖田と藤堂を土方の病室から引きはがして連れ帰ろうとしている俺には立派に、新見の病気が伝染ってる。
芹沢が出ていくと、山南は椅子をガタガタ引き寄せて土方の枕元にとんと座った。
「ご気分は?」
「…来ると思わなかった」
「どうして」
「意地で」
山南はとろりと微笑った。砂糖がぽろぽろ崩れていくように、柔らかく。
待て、こんな顔で笑う奴だったか。こんな優しそうに笑う奴だったか。
「おまえ…」
土方は起き上がろうとして、腕に力が入らないので途中で諦めて、ボスンと元いた場所に頭を戻した。
「動けないんですね」
「あーそーだよ。見て分かんねえか」
「じゃあ好きにできちゃいますね」
「何?」
「君のこと。好きなようにできちゃいますね。私でも芹沢さんでも…近藤さんでも誰でも」
山南はベッドに肘を突いて、土方の顔を覗き込んだ。
「見張ってないと」
吐息が唇に触れた、と思ったら山南はそのまま前のめりにベッドに突っ伏し、袖に顔を埋めた。
「…おい」
「何です」
「それ俺の服だ」
「ロッカーにあったの借りました。寝るのに便利かなと」
「……あんた寝に来たのか?」
「ええ」
「ええ!?見舞いに来て寝る奴に会ったことがあるか?俺はありません」
「うるさい」
山南はしっかり目を瞑り、土方のすぐ傍で本気で寝息を立てだした。
「……山南?」
仰天している間に10分経って看護婦が覗きに来たが、見舞客が枕元ですーすー眠っているのを見ると、何やら了解してそのまま行ってしまった。確かに眠ってでもいなければ追い出されるだろうが。だから寝たのか?まさか。
土方は首だけ山南のほうに向け、額に落ちた髪を掻き分けた。
…俺の服、あんま似合わねえな。
たかだか2日ぶりなのに、近くで見る山南の顔は青く見えるほどの透き通りようだ。随分寝てねえな。2日分足して睡眠3時間てとこか。
もう知ってると思うけど、またあんたんとこに行こうとしてたんだよ山南さん。行けなかったけど。
近藤さんの顔見て、もう一度あんたの顔見たら、何か分かると思ったんだよ。
近藤さんは俺に優しくて、あんたは全然優しくない。
近藤さんは俺のために泣いたけど、きっとあんたは泣いてない。
昔、山南は、冷静に、淡々と、俺に告白した。冷静に、淡々と、俺をふった。
いつも山南が先だった。2年の歳の差のせいなのか、単に俺が余計に惚れてるのか、決定権はいつも山南にあった。
会いたい時はいつもあんたから来てくれる。
そしていつも、あんたから勝手に離れてく。
それでも。
…それでも。
土方は目を瞑り、静かな寝息に耳を澄ませた。
山南は今ここで、人畜無害な小動物みたいに大人しく寝ているが、今だけだ。
起きたら最後、俺をとんでもない目にあわせるに違いない。そのために来たに決まってる。
俺はそれに心を備えなければならない。今はその時間だ。
土方の予想は、半分、はずれていた。
山南は熟睡しているその間も嵐を起こしていた。
13時半。
原田は屋上にいた。
ぶらぶらと階段を上って柵から身を乗り出し、代わり映えしない景色をひととおり眺めてからプルトップを引き上げた。
今日に限って会社の誰も彼もが缶コーヒーを啜っているのは、毎日コーヒーを補充する井上が他の仕事に忙殺されているせいだ。なら誰かが代わりに淹れてやればいいものを、わざわざ他人のぶんまで湯を沸かして粉をセットするぐらいなら小銭を自販機に放り込んだほうが手っとり早いので、誰もやらない。つまり、今、誰ひとりとして余裕がないのだ。
土方の不在。それだけでこのコンクリートの建物が、風に吹かれて揺れている。
でも土方さえいれば、揺らがない。土方以外、いなくても大丈夫。…大丈夫。
「…おーい」
原田は新宿方面に目をやったまま呟いた。
「そのへんにいんだろ。斉藤」
返事はない。
「気配消せてねえぞ〜。俺ねえ、こう見えてねえ、強いの。チンピラあがりのおまえとは鍛え方が違うの」
「……」
「ま、いいけど。独りごとで。俺、実はあんたのこと嫌いなんだよね」
「……」
「愛想ねえ犬みてえだよね、あんた。芹沢だの土方だの近藤さんだのご主人様がいっぱいいて。俺、誰かのほうが誰かより偉いとか、年齢や役職で決められるの、やなんだよね。自分で決めたいのよ。ああ山南ちゃんの言うことならきこうとか、新八なら助けようとかさ。あんた、俺は俺だってのがないよね。なーんかふらふらしてるよね。あれでしょ。自信ないんでしょ。誰かの言うこときいてないと不安なんでしょ。誰かに叱られるともう人生終わりみたいに思うでしょ。時々馬鹿じゃねえのって思うよ。俺に言われてどうすんのって話よマジで」
「……」
「でもいつぞや俺が腱鞘炎になった時にさ、社食で飯食ってたら、あんたがハンバーグ食べやすいようにサイの目切りにしてくれたの忘れてねえよ。御礼言ったら逃げてさ、かわいいなあって思ったよ。俺はきっとあんたのやなとこは来年には全部忘れてる。でもそういう事は一生忘れねえよ。あんたを思い出す時は、必ずそういうところを思い出すよ。だから来年はあんたのこと好きになってるよ。どこかであんたのこと好きだなあって思ってる俺がずーっといるんだよ。自信つくだろ?」
斉藤は給水塔の上で腹這いになったまま、原田の「独りごと」を聞いていた。
腹も立たなければ、傷つきもしなかった。
原田の口調は、今までに聞いたことがないほど優しくて、まっすぐで、何だかそのまま愛の告白を始めてもはまるほどだった。
「そんじゃ、ね」
原田は空に向かってぶんぶん手を振ると、非常扉を押し開けて下へ降りていった。
…別れの挨拶みたいだ。
斉藤は跳ね起きた。
みたい、じゃない。これは別れの挨拶だ。
「先生。ちょっと」
トイレから延びてきた手が、会社に戻った芹沢を中に引きずり込んだ。
「何だ?便所で一発やんのか」
「そうやって調子にのるからあんたに告りたかなかったんだ!」
「俺のせいかよ!」
「さっき永倉に聞いたんですが」
新見は一回怒鳴ってしまうとたちまち無表情に戻り、洗面台に凭れて声を潜めた。
「辞めるそうで」
「ふうん。惜しいな」
「原田を連れてく気らしい」
芹沢はそのへんのモップを振り回しながら、また「まずいな」と呟いた。ただの転職で同僚を「連れてく」なんて言葉が出てくるはずはない。
「…あれか」
「それですな」
「おまえに話したということは」
「私も誘われてるんでしょうな」
「ということは」
「先生も射程距離内でしょうな。…それ止めてくださいよ、何か飛んでくる」
芹沢は大人しく用具棚にモップを戻した。それから、新見を見た。
「止めねぇよ」
「…そうくると思った。結局先生に拘ってるのは私だけなんだ。ああ分かってましたよ。私がどんな思いで告」
「俺に要求しろ」
新見が驚いて顔を上げると、芹沢はにこりともしないで新見をじっと見ていた。
「俺に、命令しろ。一度だけ許してやる」
永倉には、感情が顔に出ないのは仕様だと言ったが、嘘だ。驚けば驚いた顔になる。たいして驚いてないだけだ。自分は芹沢以外の何にも驚かない。芹沢以外の何にも動かない。
新見が立ちすくんでいる間に、トイレに井上が入ってきて、黙ったまま突っ立っているふたりにおどおどしながら用を足し、出て行った。
結局、焦れた芹沢が先に命令した。
「とっとと付いてこいって言え!」
新見が芹沢に文句があるとしたら、少々短気なことだ。些細なことだ。
18時。
近藤は、病室の入り口でしばしたちつくしたあと、足音をしのばせてそろそろとベッドに近づいた。
「…山南さん?」
ふたりは頭をくっつけんばかりにして眠りこけていた。
山南は今日は午後から半休をとっていた。土日に徹夜の勢いで仕込みをし、翌日休みをとる。そこまではいいが、何故用意周到にそこまで準備しておいて自宅に戻らずここで寝るのだ。
近藤は抱えてきた差し入れを慎重に小机の上に置き、山南の肩をそっと揺すぶった。
「…山南さん。起きてください、風邪ひきます」
言いながら、近藤の頬に苦笑が昇った。こんな時なのに、わざわざ風邪をひくなどと付け足さずにいられない自分に呆れる。きっとこんな葛藤は山南にはお見通しだ。私はいい人じゃないんですよ、山南さん。貴方ほどではないけれど。
山南はパチンと目を開けた。
「…あ。おはようございます」
「はい。おはようございます」
夜だが。
「よく寝ました。病院で寝るってのも悪くないですね。静かだし」
山南は大きくあくびした。近藤は初めてみた山南の大あくびが終わるまで待ち、息を深く吸い込んで、吐いた。
「山南さん、少し外へ出ませんか。話がある。…というか、文句がある」
「はい?」
「正直に言えば、貴方を殴りたい気持ちです」
「なんでまたそんな気持ちに」
「分かってるはずです。口止めしておかなかったでしょう」
「ああ。…原田くんあたりかな」
山南は背もたれに体を預けてゆったり腕を組んだ。怯んだ様子も驚いた様子も何もない。山南はきっと、誰かさん以外の言葉では動かないのだ。
「口止めるようなことではありませんし、殴られるようなことでもありませんね」
「歳、起きろ!」
近藤は突然雷鳴のような声で怒鳴った。土方が、上体を斜めにしながら跳ね起きた。
「あ!?…あ?」
「歳の前で話してもらおう。殴られるようなことではない!?貴方がそんな人だとは思わなかった!貴方はうちの社員をまとめて引っこ抜こうとしてるんだ、充分殴られるようなことだ!」
「…また“歳”ですか」
「なに?なんだ?」
土方の呂律のまわらない合いの手を、ふたりとも完全に無視した。
「勧誘は犯罪ではありませんよ、近藤さん。新宿の路上でキャバ嬢をスカウトした訳じゃない。口止めなんてして秘密裏に事を運んだ訳でもない。もっと言えば私が声をかけたのは永倉くんひとりで、あとは彼の判断に任せた。そこから結果的に何人になろうが私の責任ではない。うちの、と言ったが貴方が言ううちのは昔馴染みの4人でしょう。私が貴方の為ならどんな冷遇にも耐える天使だとでも?」
「何のことです。待遇に不満があるなら直接申し出れば良かった。私は貴方を管理職としても現場の人間としても非常にかっていた。私に何も話さずただの一度も相談を持ちかけてくれなかったのは貴方のほうだ。不意打ちは犯罪ではないが仁義に反する、そうではないですか!」
「仁義の定義による」
山南の声は一糸も乱れない。
「先に義を外れたのは不公平な待遇を当たり前にしてきた貴方であり、それを無理矢理是正するより望む場所に移って穏便に事を済まそうと考えるのは省エネの観点からも真っ当な義だと私は考えます。貴方への感謝の気持ちは充分に社への貢献で返し、今もほとんど眠らず返している最中です。それに一方的な暴力も義に反すると私は思う。私は殴られるのは嫌いなので、今この時点では貴方に恨みはないが、殴られたら全力で恨む。私に恨まれたらどうなるか充分想像してから殴ってください」
「脅す気ですか!」
「自慢ではないが私は見かけに反して腕が立つ。土方くんならよく知っている。これは私の親切です」
「…本当に、貴方がそんな人だとは思わなかった」
「よく買いかぶられます」
山南は立ち上がり、近藤に向き直った。
「そういう訳ですから、社長として殴りたいのならごめん被ります。ただし男としてなら甘んじて受けます。どうぞ、お好きなだけ」
「…は?」
「土方くんがこんなことになって私は大泣きした」
「あ、そうなの?」
土方がこんなどうでもいい箇所で反応したことに、近藤は絶望した。
土方にとって重大なのは、山南が会社から出て行こうとしていることではなくて、山南が自分の為に気を揉んだかどうかなのだ。おいふざけるな。
ふざけるな。
「私は土方くんと昔付き合っていました」
「何故!?」
交際していたと言ってるのに何故はないだろう、好きだったからだ。
と土方は思ったが近藤の混乱も十二分に理解できたので黙っていた。何故だ。どこがだ。むしろ嫌いなほうが近いぐらいだ。
「近藤さんはご自分で何と思っていようといい人だ。素直で優しい。貴方といたほうが土方くんは幸せに過ごせると思う。私にはできない。一度失敗している。またするかもしれない。だから諦めて近藤さんに渡そうと思った。でもやめた。渡せない」
「おい!」
土方は精一杯伸び上がって叫んだ。
「その渡せねえとかいうものが俺のことなら荷物じゃねえんだ、しかも今おまえが持ってる訳でもねえ!勝手にことの順序を乱すな!」
「うるさい!もういい人ぶるのに疲れた!何故疲れたかというと君が勝手にバイクで空飛んだからだ!君が近藤さんに気をもたせるからこうなったんだろう、全部君のせいだ!いっそ死んでれば綺麗さっぱりことが済んだのに!」
「死んでたら貴様大泣き通り越しておぼれ死んでただろうが!いいこぶったのはてめぇの勝手だし空飛んだのもてめぇが元凶だ!すべて!全部!ずっとだ!」
「近藤さん」
急に第四者というべき穏やかな声がして、3人は突然我に返った。
「黙って聞いてないで止めてくださいよ。おふたりも落ち着いて。そんなに大声で恥ずかしいことを喚くものじゃありません。ここは病院ですよ」
修羅場の空気を緩和するのに最適な人材が、病室の入り口で書類を抱えて立っていた。
「…源さん」
「土方さんに報告書を持ってきただけですので、すぐに失礼いたします」
井上はとことこと枕元まで歩いてきて、傍らの棚にそれを丁寧に置いた。
「…源さん、なんで冷静なんだ?聞いてただろ?」
「先刻新見さんとお話をして、驚くのはそこで済ませて参りました。いやはや、この年になってこんなに仰天させられるとは…」
井上はそのまま病室を出て行くかのように出口に向けて直進しながら、近藤の腕を掴んだ。
「話はお済みでしょう。社に戻ればひさしぶりに美味しい珈琲が待ってます」
「済んでない」
まだ返事を聞いていない。わかりきってはいても、近藤は土方の口からそれを聞こうと今の今まで待ったのだ。
近藤はまず山南を見た。山南の顔にはまだいつもの微笑は戻っていなかった。どうとでもとれる、あの曖昧でしゃくにさわる微笑。今の山南は、他にどういうふうにも誤解しようがなかった。子供のようだ。
近藤は山南が怖かった。何を考えているかさっぱり分からなかったし、理屈でも勝ったことはなかったし、今も敗北感に打ちのめされて倒れそうになっていた。しかし初めて近藤は山南を一瞬、上から眺めた。一瞬だが。山南の目は必死で頼んでいた。土方をくれと。
「歳」
土方は足が折れているのを忘れて床に降りようとし、慌てた山南に押し戻された。
近藤とはきちんと同じ場所に立って話したいのに。山南は既に立ってる場所など上でも下でも知ったこっちゃないが。
「かっちゃん、こっちに来てくれ」
近藤はぎくしゃくと山南と反対側の枕元に立った。
「もう少し下」
近藤はかがんで、土方と視線を合わせた。
「…山南といると、俺は辛い」
山南は、近藤がさっきまで立っていた場所に視線を固定したまま突っ立っている。
「でもそれは山南ひとりのせいじゃない。きっと恋愛ってそういうもんで、恋愛できる相手ってのはそういうものなんだと思う。こいつは顔は可愛いし体もわりといいんだが性格は最悪で自分のしてぇようにしかしない、人の都合で俺を引きずりまわして傷つけまくるし俺もこいつを傷つけまくる。昔もそうだったし今もこれからも、改善の兆しはさっぱり見えねぇ」
「じゃあやめたらいいのに」
近藤の素直なツッコミに、そうだよなと頷きそうになったが土方は耐えた。
「あんたとは、そんなことはしたくないし、されたくない。友情ってそういうもんで、一生親友でいられる相手ってのはそういうものなんだと思う」
「こんなことがあったのに、俺がおまえと親友で居続けてやると思うか?」
「思う」
たった三音を言い終わる前に近藤は、山南を殴る代わりに土方を殴った。
「俺も思うが、少しは俺を思いやれ」
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