ACT.10




 …真っ白だ。

「あまり息しないでくださいね」
 それが生物に対するコメントか!
 とは思ったが、思った途端土方はここが天国でないことと、言われなくてもそうせざるを得ない状況を同時に理解した。
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。呼吸するたび骨が軋む。
「…あの…死ぬ」
「死にませんから落ち着いてー。おなかに力は入れないで、喉だけでゆっくり空気を入れて。そう。ここ」
 白衣の天使がひんやりした手で右手を握り、喉の辺りに当てて呼吸の仕方を教えてくれる。
 左手は誰かが握ってる。熱い手。火傷しそう。
 …天使の手が冷たいなら。
 土方はやけにザラザラと喉を通過する気体に眉を顰めながらぼんやりと思った。
 こっちの手は悪魔か。

 22時間弱の眠りの中で、土方は何度も何度も事故の瞬間を夢で見ていた。
 もの凄い勢いで左右に流れる赤や白の灯り。そこに淀んでいた空気の塊が自分で割れていくあの快感。速度を上げた瞬間の計器の針も覚えてる。斜めに生えた信号機も。黄色だった。充分渡りきれると確信して、加速した。
 あの時、体より数十メートルも先に心があったのだ。逸りすぎた心は、あの信号を渡りきった。
 体がのたくたしてる間に、ずっとずっと先へ。

 もどかしい。いつもそうだ。いつもいつも体がついてこない。大事に大切にしたいのに体が逆らう。一秒でも長く見ていたいのに眠気に負けて目蓋が閉じる。空を飛びたいのに足が地面から浮かない。今すぐ会いたいと思った時に体がそこにいない。いつもいつもいつもいつもだ。

「…とーし」

 ようやく痛みに慣れた頃、溜息のように呼ばれた。
 …ああ。こっちも天使か。

 
 長い長い週末が明けた。月曜午前11時。
「それでは臨時会議を行う」
 言ってから、新見は手に持ったボールペンで永倉を指した。
「隣の奴を起こせ」
「どちらを」
「どっちもだ」
 永倉が右の山南と左の芹沢を交互に揺すぶったが、机に突っ伏して寝息を立てているふたりはぴくりとも動かない。
「…起きないんだが」
「起・こ・せ」
 永倉は「失礼」と書類を丸めてふたりの頭をスパンと殴り、それでも起きないのでパイプ椅子をガンと蹴り上げ、山南が無表情ですっと顔を上げたのと、芹沢がライオンのような唸り声を上げたのを確かめてから、すっとんで席を移動した。
「さて、皆もお聞き及びの通り土方が土曜日の夜から入院してる。1部の仕切りは臨時に山南先生にお願いしているが」
 山南がまた舟を漕ぎ始めた。
「…このとおり非常にお疲れなので各部署フォローをお願いする。分かってるとは思うが株価に影響がないよう、できる限り部外者に口外しないこと。判断に困った時には私を通せ。特に広告・宣伝・営業の口の軽そうなのっていうか沖田。漏らしたら翌日席がないと思え」
「…なんで私」
「新聞に載ったんじゃないのか?」
 珍しく斉藤が行った発言は、芹沢の「ばーか」で一蹴された。芹沢が抑えたのだ。それが仕事だ。
 斉藤が新聞を取ってないことを社員一同の前で無駄に暴露してしまった後、こちらも眠そうな井上が目をしょぼしょぼさせながら立ち上がり、土方の様態を説明した。首から上には傷がないという報告に、一同は深く安堵した。あの顔だからあの性格でも許されるのだ。あれで顔に迫力ある傷でも残ってしまったらそのまんま過ぎてちょっとシャレにならない。
「意識もはっきりしてますし、元々体が丈夫なので回復も早いのではないかと。皆様ご心配とは思いますが、まだ身内以外の面会は控えて頂きたい。御見舞に行きたいという方はまず近藤社長の了解を取ってください」
「何でだよ」
 井上は、相変わらず寝起きでライオン系な芹沢に向き直った。
「…近藤さんは平日の午前中に毎日付き添われますから。土方さんの様態を一番よく御存知なのでまず近藤さんに」
「おい聞いたか、いい歳こいた大人が誰かに会うのに誰かの了解をとれだとよ!どう思う新見、変じゃねえか?」
「変ですな」
「変だよなぁ」
 うつらうつらしていた山南は、芹沢に椅子を蹴られてガクンと前につんのめった。
「お、そーかそーか山南先生もそー思うか。そんじゃ各自、勝手に行くってことにしよう」
 何故こんな事で絡まれるんだろう、と訝しげな井上を後目に新見はさくさく必要事項を申し伝え、会議は瞬く間に終了した。
「…土方さんと山南さんがふたり揃ってないと早く終わるな」
 返事がないので斉藤が顔を上げると、さっきまで隣にいたはずの沖田は既に勢いよく席を蹴って出ていった後だった。


「ちょっと沖田さん!どこ行くんです」
「お昼」
「でも、でも昼休みまでまだ30分も」
「うるさいなあ11時半も12時もほとんど変わんないだろ。平助は働き過ぎなんだよ」
 …あ、機嫌が悪い。
 藤堂はたちどころに抵抗を諦めた。会議に出席していなかった藤堂は、例によって情報を仕入れるべく会議終了をそわそわ待っていたのだが、1番に出てきた沖田に朝の挨拶もそこそこに腕を掴まれて通用口まで引っ張り下ろされたのだ。沖田がぱーっと怒ってぱーっと機嫌を直すのはいつものことだが、土方のように理由も無く不機嫌になるようなことはない。何か分かりやすい引き金があったはず。
 沖田はさっさと駐車場から自分の車を引き出して藤堂を乗せると、左右確認もそこそこに道路に飛び出した。人だろうが車だろうが相手が避けて当然と思っているのだ。性格のいい悪いではなく育ちの良さだ。多分。
「どこ行くんですか?」
「考えてなかった」
「…えーと…じゃあ四谷でどうです。美味しいお蕎麦屋さんがあるんですよ。山南さんに教えてもらったんですけど」
「…山南さんね」
 何その反応。山南と何かあったのか?沖田と山南?藤堂がうんうん唸ってる間に車は四谷と正反対の方向へガクンと曲がった。
 しばらく走るうち、沖田はようやくぽつぽつと話し出した。
「…今朝、山南さんと静岡まで行ったんだ。工場にゲラ入れに」
「…ああ。山南さん免許ないから」
「私も今日気付いたんだけど、山南さんちまで行く途中に不動前の交差点通るんだよ」
 これ以上沖田の機嫌を損ねないよう、藤堂は話を聞いていますという態度を示すために神妙に頷いた。
「土方さんが事故ったの、あそこなんだ」
 藤堂はしばらく額に手を当てて考えていたが、結局「だから何」しか言うことがなかったので返答を控えた。事故現場が山南の家の近所だったからってそれがどうした。土曜日に山南宅で押し花していた自分の近くでそんなことが起こっていたかと思うと、確かにあまりいい気分はしないが。
「分かるだろ」
「…全然」
「あのへんに住んでるの山南さんだけなんだよ。てことは土方さんは山南さんちに行く途中だった訳だ」
「…訳だって…訳だじゃないです。何もあの道が山南さんちにしか繋がってない訳じゃないし、誰か沖田さんの知らない、会社と関係ないお友達とか彼女とかが住んでるかもしれないでしょう」
「いないよそんなの」
 沖田はきっぱり言い切った。
「私が知らないんだからいないよ」
「…沖田さん、どうしたんです」
「本人に聞いたんだよ私は。山南さん土日もずっと会社に詰めてて全然寝てなくて、助手席でもほとんど爆睡してたんだけどそれ起こして、土方さん不動前で事故ったんですよ〜山南さんに会いにいく途中だったんじゃないですか〜って」
「…そしたら?」
「多分ね、って」
 藤堂は目をぱちくりさせた。土曜日の夜に土方が山南に会いに行く。
「…不思議ですね」
「不思議どころか摩訶不思議だよミステリーだよアメージングだよ。何それ」
「はあ」
「それじゃあ、あの事故山南さんのせいじゃんって言ったら自分のせいでしょう土方くんはいつも苛々してるから、だって。いつも理想に体が追いつかなくていつも不安で不満であせってすぐ怒ってすぐ泣いて強がって弱くて危なっかしいからこういうことになるんだって。何で山南さんがそんなこと言うの。そんな権利あんの。山南さん土方さんのことなんか何も知らないじゃない。私、そういうの嫌なんだよ。知らないくせに分かったようなこと言うの。土方さんが死ぬかもしれないって聞いてこっちが死にそうになったよ。源さんもそうだよ。近藤さんなんかもっともっともっとそうだよ。4人でずっと一緒にいたんだから誰よりも知ってるよ。近藤さんや源さんが言うならともかく山南さんにどうこう言われたくないよ。土方さんと張り合ってばっかりな人に」
 ああ、悔しいんだな。土方と山南の間に自分の知らない秘密があることが。
 斉藤さん、私はまた自分がひとつ嫌いになりました。沖田さんでも思い通りにならないことがあるんだって分かって、私はなんだか安心しています。沖田さんも人間なんだなあって、こうして悔しがってそれを私にグチってくれてる事が、例え成り行きでも嬉しく思います。結局私は沖田さんに何をされても嬉しいんです。つまりそういうことなんです。
「平助、聞いてる?」
「沖田さんは、人と張り合ったことがないんでしょうね」
 沖田はハンドルを握りしめたまま、ちらりと藤堂を見た。
「…ないよ。だって張り合いたいほど嫌いな人がいない」
「私はいつも沖田さんに張り合ってますよ。軽蔑されたくない、負けたくないって思ってます。好きだから」
 …普通に告ってしまった。何の心構えもなく告ってしまった。でもこんな乱暴な運転されちゃ無事に会社まで帰り着けるかどうか分からないから言っちゃいます。土方さんがあんなことにならなければこんなこと考えなかったけど、いつ終わるか分からない。明日沖田に会えるかどうかも分からない。
「好きだから、相手にも自分を気にして欲しいって思うんです、土方さんと山南さんもきっとそうです。お互いに同じぐらい張り合えるのは、お互いに認めてて気になるから」
 いきなり車が路肩で急停車した。
 後ろからのけたたましいクラクションに藤堂は気が気ではなかったが、沖田はそんな些細なことは一向気せずエンジンを切った。
「…あのね、平助」
「…はい」
「…私がさっき言ったことが無茶苦茶なのは自分でも分かってる」
「…はい」
「あのね」
「…はい」
「人に言うのは初めてなんだけど」
「…はい」
 藤堂は、今日の今まで車を「どこかに移動するための乗り物」としか思っていなかった。こんな町中でいきなり個室になるなんて凄い。だから恋人たちは車に乗りたがるのか。私も早く免許取ろう、そうしよう。
「私は土方さんが好きだったんだ。ずっと」
「…知ってました」
「でも土方さんの相手は近藤さんだって思ってた」
「…実を言うと私もそうじゃないかと思ってました」
「違ったらどうしよう。土方さんが近藤さんじゃなかったらどうしよう。近藤さんならいいやって、ちょっとずつ諦めながら何年もかかってここまできたのに。急に違うって言われてもどうしていいか分からない。また1からやり直すなんてできないよ。そんなの土方さんが決めることで私には関係ないのに、もう山南さんの顔まともに見れないんだよ。山南さんのことは好きだけど裏切られた気分なんだよ。平助にそんなふうに言ってもらう資格なんか私には無いよ。身勝手で汚くてこんな無茶苦茶言って」
「でも…恋って無茶苦茶なもんです」
 言ってから、おお、まったくその通りだと思った。無茶苦茶だ。
 自分は今ものの見事にふられているのに(ついでにこんなとこにいつまでも停車していたら人様の迷惑なのに)幸せだ。
 藤堂は沖田の手を握ってみた。沖田の自信や強さに憧れていたけど、だからこそ弱さが愛しい。山南が土方を弱いと言ったのは、きっと悪口じゃない。
「沖田さん、土方さんの病院、すぐそこです」
「…そうだっけ」
「会ってきたら?まだ話してないんでしょ?顔見て話したら少しは落ち着きますよ。…多分」
 沖田はしばらく俯いていたが、やがてこっくり頷いた。
「一緒に来てよ平助」
「…いいんですか?」
「いて欲しいんだよ。私は見ての通り色々と変だから、急に妙なこと言ったりやったりしだしたら止めて欲しいんだ」
「沖田さん止められたためしなんか1度もないんですけど!」
 沖田は藤堂の手をちょっとだけ握り返すと「今日はできるよ」と言い、またエンジンをかけた。
「その前に、ご飯食べよう。朝から何も食べてないんだ」
 

11時半。
「はい山南ちゃん、お待たせー!ユンケルとハリックスSSとビタミンCキャンデー!」
 原田から受け取った買い物袋の中身を確認すると、山南はまだぼんやりした口調で「ありがとうございます」と言った。
「ううん、他に何かあったら言って!」
「そうですね…じゃあ肩揉んでもらおうかなー」
「おっけー任せて!」
「…なんだあれは」
 新見が隣のブースで眉を顰めるのに、永倉は新見の分まで缶コーヒーを開けてやりながら軽く返事した。
「もう仕事じゃ迷惑しかかけられないから、せめて他のことで山南さんに尽くすことにしたらしい」
「…したらしいって」
「本人楽しそうだからいいんじゃないですか?」
 土方が戻るまで原田の異動はやむを得ず延期になった。原田は、自分でもよく分かっているのだが、これをやれと言われてその場でやるのは得意なのだ。何日もかけてひとつのことを進行するという作業ができないのだ。
「…まあパシリで気がすむなら好きにしたらいいが…何だか…なんか飼ってるみたいだぞ」
「新見さん。実はこれからする話にもちょっと関係するんだ」
 永倉は豪快に三口で缶を空けると、ふうと息をついて新見を見据えた。
「土方さんが戻ったら、私は会社を辞めようと思う」
「そうか」
「…驚きませんね。さすがは新見さんだ」
「とても驚いてる。顔に出ないだけだ」
「原田がどうするかは分からないが、私は決めた。今日の会議でもつくづく思ったのだが」
 永倉は流石に声を潜めた。
「この会社が実質近藤さん土方さん源さん総司の4人で動いているのは承知のことと思う。会議で源さんは身内という言葉を使った。あれは血縁ではなくあの4人のことだ。私は前々からありとあらゆる待遇の差に不満があった。社員は皆平等のはずだろう。あの4人の給与明細を御存知か」
「御存知な訳ないだろう。芹沢先生のなら一度見た。結構な高給だ」
「同じ部長の源さんは更に上です」
「…芹沢さんが週に三日しか出社してないからじゃないのか?」
「じゃあ私と総司はどうです、査定も役職も同じなのに額面がまったく違う。山南さんと土方さんなど手取りで10万も違う」
 新見はしばらく手の中の缶をコツコツ爪で弾いていた。給与明細を打つのは普通経理のはずだが、ここでは何故か井上の管轄なので怪しいとは思っていた。単に金に興味がないので放っておいたのだ。
「…しかし永倉さん。何故あんたが額面を知ってる。端末に侵入したのか?」
「まさか!見くびってもらっては困る、私はそんな卑怯なことはせん!」
 永倉は堂々と言い放った。
「本人にカマをかけながら地道に聞いてまわったのだ。したがって土方さんは少々サバを読んでる恐れがある」
「…成る程。方法が単純すぎて思いつかなかった」
「バカにしていますか」
「感心してる。顔に出ないだけだ」
「とにかく」
 永倉は、今度はコピー機のトナーをせっせと補充している原田に息子を見守る父親のような眼差しを送った。
「…新見さんもそろそろ考えたほうがいい。こんなところにいても先はない」


 12時半。
「じゃあな歳。夕方にまた寄るから」
 近藤は抱えてきた雑誌を枕元にどさっと積み上げた。
「エロ本がなーい」
「ヌく元気ができたら持ってくる。早く治せ」
「…頑張る」
「頑張れ」
 曖昧な笑みを交わし合いながら、白々しい会話だなとふたりとも思った。お互いを労るあまり聞きたいことは聞かずにいる。
 あんなに急いで何しに行く途中だったんだ、とか。俺がいない間仕事のフォローが誰がやってんだ、とか。
「他に欲しいものは?」
「…いつもの歯磨き粉」
「来て欲しい奴は?」
 さらっと尋ねた近藤に、土方もさらっと答えた。
「特には」

 病室を出て玄関に向かう途中、近藤は思わず壁に拳を入れた。傍にいた看護婦が飛びずさった。
 特には?特にはだ?
 あんなふうなのは土方らしくない。「おまえはいいから山南を呼べ」とかなんとかはっきり言ってくれたほうがまだマシだ。
 勝手なもので、生きてたと思った瞬間生きてるだけじゃ物足りない。生きて自分のものになって欲しい。
 頼まれもしないのにわざわざ恋敵を呼んでやるほどお人好しでもないし、呼ばないと来ないような相手に譲る理由もない。そこまで人間できてない。
 あーでもここで呼んでやるのがきっと余裕あるかっこいい男なんだろーなー!でもなー!と悶々悩みながら外に出た近藤のすぐ脇を、見慣れた車が通り過ぎ、敷地内の駐車場へ砂利を踏んで入っていった。近藤は振り返ってぼんやりと見送ったが、誰の車だったかどうしても思い出せず、悩み事の最中でもあったのですぐに忘れ、結局そのまま地下鉄への階段を降りた。

 勝手なもので、生きてたと思った瞬間生きてるだけじゃ物足りない。
 会社に行って仕事がしたいし好きなところへ自分の足で歩いて行きたい。近藤に弱音は吐けないが、休んでる間に居場所がなくなるのが怖い。土方は、自分でも重々分かっているのだが、気が小さいのだ。がむしゃらに動いてないと不安になる。
 手術中は総司と源さんがいたと聞いたが、他の連中はどうしてたんだろう。週末に社員を呼び出すのは大変だっただろうに。
 自分が知らないところで地球が回っただけでも腹立たしいのに、自分が知らないところで何か事件が起こったらと思うとのんびり寝てもいられない。よそにはばれてないだろうな。バイクですっころんだなんていい物笑いの種だ。
 土方はもぞもぞと肘を使って、上半身を起こしてみた。
 いい天気だ。4階の病室の窓から、ぎりぎり駐車場の端に停まった派手な深緑色の車が見えた。
「…?」
 …見覚えがあるな。誰のと同じだったか。
「土方さん、お客様ですよ」
 例の手の冷たい看護婦が、ノックと同時に戸を開けた。
「会社の方。10分できりあげるからって仰ってますけど、お話できそう?男性おふたり」
「歳くったのと若いの?」
「…基準が分かりませんけど」
 じゃあ呼んでくれと適当に答えた土方は、看護婦が消えたと同時に飛び上がった。気持ちだけ。
 源さんと総司だと思い込んでたがそんな訳あるか。あいつらなら看護婦が顔を知ってるはずだ。それに業務部長が昼間会社を抜けるのは無理だ。
 永倉と原田?斉藤と藤堂?武田と河合?…芹沢と新見?
 最後のは嫌だな。最後のじゃありませんように。最後のじゃなければ誰でもいい。

「おーーーーっす土方!」

 反射的に頭からシーツをがばっと被ったが、視界から閉め出したからといって本人まで消える訳はない。
「お?お?お?ツれねえなぁ。死に損ないのくせに選り好みか?」
 芹沢は今日も今日とて微妙に酒くさい息を吐きながらドカドカやってきてあろうことかベッドに乗り上げ、被ったシーツの上から頭の両脇にドンと手を突いた。
「ぐるじい!」
「てめえが寝こけてる間に俺がどんだけ苦労したか知ったらそんな態度にゃでれねえぞコラ。折ったっつーのはどっちの足だ?こっちか?こっちか?ははは面白ぇな、どっちもか!真ん中の足は無事かぁ?」
「いだ!いだだだだだ!触んな!また折れる!つかどっか行ってください!新見さんこの人何とかしろ!」
 芹沢の動きがピタリと止まった。土方はじたばたとシーツを掻き分けようとしたがピンと貼られたシーツに指が引っかからない。
「…おいモテモテ男。おまえ誰待ってた」
「…強いて言えばあんた以外のすべての奴かな」
「言えば今すぐ会わせてやるぜ」
「あ?」
「近藤と違って俺は寛大だからよ」
 土方は思わず目の前を(シーツだが)凝視した。病室の時計の針がチクタク進む音が聞こえる。
 ……ふたりって…………あ?
「おい、どう思うこの態度。死にかかったわりにまったく学習してねえぞ」
「…その人は昔からこうなんです」
 …………。
「芹沢さん下りてくださいよ、絵面的に危険ですよ。病室は扉を完全には閉めない決まりなんですから」
 土方は何度か唇を舐めた。
「………山南?」
「はい」
 土方はようやく緩んだシーツの間からそろそろと顔を出した。
 壁に凭れた山南がいた。
 目が合うと妙にとろんとした声で、もう一度、「はい」と言った。
 
 





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