「またリセットしたぁ!?」 「馬鹿、でかい声出すんじゃねえ!あいつは知らねーんだから!」 「何のお話です?」 台所にいた八戒がコーヒーを3人分淹れてこちらにやってきたので、悟浄と三蔵は慌ててソファーに座り直した。 「おふたりともブラックでいいんですよね?」 そのあまりの笑顔の眩しさにソファーごと後ろに倒れそうだったが、悟浄は何とか踏みとどまりカップを両手で受け取った。 「…さんきゅ」 「いいえ。お口に合うといいんですが」 ああ、なんって初々しい。合うさ合うともさ。 淹れるコーヒーは絶品だし顔は綺麗だし気だても申し分ない。三蔵が作った悟空なんざ性能はともかく燃料の食い過ぎで不経済なことこのうえない。悟浄は自慢の八戒をいけすかない悪友に見せびらかす日を楽しみに楽しみにしていたのだ。していたのに。 「…あ。雨降りそうですね。ちょっと失礼します、洗濯物入れてこないと」 八戒が出ていった途端、三蔵はぐるりと悟浄に向き直った。 「この無能。ロボットなんざ金持ちが大枚叩いて買うか俺のような才能溢れる奴が趣味で自作するもんで、てめぇみてーな凡人庶民が軽々しく手ぇ出すようなもんじゃねえんだよ!プラモデルかなんかと勘違いしてんじゃねえのか!?」 悟浄とて去年飲み屋のビンゴ大会で制作キットが当たるまでは、巷で大流行のロボットになぞ興味の欠片もなかったのだ。だが悟空を作り上げてからの三蔵が毎日やたらと楽しそうで、ちょっと羨ましくなってしまった。幸い手先の器用な悟浄はマニュアル片手に半年がかりでコツコツ組み上げた。女でもよかったのだが、飲み屋の連中にお披露目することを考えると何だか如何にもだ。医療用だとか戦闘用とか愛玩用とか色々とプログラムできるのだが面倒くさいうえ金もかかるので、八戒はわりと基本に忠実にできている。どんな性格が飛び出すかは運だ。悟浄としては家に話し相手になってくれるダチがいてもいいなという軽い気持ちで、確かにそれは三蔵が言うとおりプラモデルに近い感覚だった、かもしれない。 しかして八戒が初めて目を開けた時の感動は筆舌に尽くしがたい。生き物の形をしたものが動くと、もう生き物にしか見えないんだから不思議だ。おお、俺の手から今ひとつの生命が誕生した、本日を記念日に設定しようなどと悟浄が感動に打ちのめされている間にも八戒は床に敷いた新聞紙の上から起きあがり、30センチの距離でまっすぐこちらを見た。 カシャン。 緑色の目の奥でいきなりシャッター音が聞こえて、悟浄は軽く飛び退いた。 「うわ、凄ぇ!」 「はじめまして悟浄さん」 「あ、はい。はじめまして」 つられた。 もっと機械チックな軽い響きかと思ったら声が深い。和む。 「僕の名前は、八戒、でいいんですよね。よろしくお願いします」 「あの、敬語やめない?」 「…基本設定が敬語なんです」 そりゃまあ普通そうだ。ロボットだもんな。ということは悟空には最初からタメグチで飼い主に適度に口答えするとかいう高度な設定でも施してあるのか。凄い。何がって三蔵の趣味が。 八戒は素人が制作したとは思えないほどナチュラルに可動した。家事も極普通にこなすし、夜長には晩酌につきあって話相手になってくれ、特に悟浄が制作者であるという気負いもなく寝坊したら叩き起こすし呑みすぎると説教をたれる。多少理屈っぽいのと時々本気で怖いのを差し引けば、八戒のおかげで悟浄は三食きちんと食べ、太陽の出ている時間に活動するという実に人間らしい生活リズムを取り戻しつつあった。 なんか…いい。気に入った。こいつとだったら一生暮らせる。 と思い始めた5日後。 「…悟浄」 自分の部屋にいた八戒が、ソファーに寝っ転がってテレビを見ていた悟浄の傍らにふらふらとやってきた。 「おう、どした?」 「……なんだか……止ま」 言い終わる前に重量170キロの体が悟浄の上に崩れ落ちてきた。 「わぁ!」 危うく飛び退くと、ソファーと八戒が膝をついた床が盛大に凹んだ。 「…あ…あの、もしもし?八戒?」 手に触れるとじんわりあたたかいが、揺らしてもぴくりとも動かない。床は無惨だが本人には傷ひとつついてない。こういう非常事態に素人はすぐさま対処できない。咄嗟に浮かんだのは「燃料切れ」だが、八戒は人間の食べ物からでも太陽光からでも自家発電できるし、力仕事をした後はコンセントから勝手に充電してる。かといってもう一度中を開くのも怖いので、恥をしのんで三蔵に電話し「ほれ見たことか」とさんざん馬鹿にされた挙げ句、何とか明日様子を見に来てもらう約束を取り付けた。 ところが取り付けている間に、倒れた時と同じに、八戒は唐突に起きあがった。 「あ、起きた!もういいや、悪いな三…」 背後でいつか聞いた音がした。 カシャン。 恐る恐る振り向いた悟浄の30センチの距離に、八戒がいた。 「はじめまして悟浄さん」 「…はい?」 八戒の頭の中は白紙だった。5日前に逆戻りだ。 はじめましてじゃないことを説明すると、八戒は一晩で5回も充電するほど盛大にしょげかえった。 「別におまえが悪いんじゃねえじゃん…」 「そりゃそうですよ。貴方に制作されてしまった自分のアンラッキーを嘆いてるだけです」 まあおそらく今回限りのアクシデントであろうと楽観することにして、悟浄と八戒はまた5日間をやり直した。ところがその後も八戒は平均5日に1度の割合でぶっ倒れ、そのたびに総てのメモリーがリセットされる。次こそは、次こそはの希望をうち砕かれて4度目の「はじめまして」を迎えた時、とうとう悟浄は罵倒を覚悟で三蔵に泣きついた。 「元々が安物だしな。俺が中見てやってもいいけど、あの八戒のまんまで直るかどうか保証できねえぞ」 「それはやだ」 「じゃあ即壊せ捨てろゴミに出せ。5日毎にリセットするロボットなんか持ってても仕方ねえだろ。早くしねぇと情が移るぞ」 「もう移った」 今の八戒は自分がリセットしたことを知らない。3日後には頭の中が白紙になることも知らない。例え八戒の中でいつまでも自分が「会って5日目」以上の存在にならなくても、いないよりは。 「…いいや、もう。もうあいつにも何も言わない」 三蔵は鼻から煙を吐いた。 「物好きだな」 「ショタコン」 「何だと!?」 「何喧嘩してんです」 八戒が洗濯物を抱えて部屋に戻ってきた。 「三蔵、今度悟空と会わせてくださいよ。悟浄に聞きましたよ、凄く元気で可愛い子だって」 「…そのうちな」 実はもう会っている。初対面から意気投合したロボットふたりはロボットのくせしてきゃあきゃあケーキを焼いたり買い物に出たりと盛り上がり、それはもう仲が良かった。三蔵にしてみれば、悟空と同じロボットでありながらリセットを繰り返す八戒の存在は不快以上の何物でもないだろう。でも。 悟浄はゆっくり吸い殻を灰皿に押しつけた。 「八戒。おまえの名前、三蔵につけてもらったの」 「え、そうなんですか?」 三蔵は不意を突かれて悟浄と八戒の間の空間に向かって渋々頷いた。 「…悟浄がつけろっつーから」 「そうだったんですか。悟空も凄くいい名前ですもんね。悟浄にしては趣味がいいと思いましたよ、ありがとうございます三蔵。気に入ってます」 帰りがけに三蔵は「卑怯者」と吐き捨てて、夕日の中を足音も荒く帰っていった。叫んでも聞こえない距離まで三蔵が遠ざかってから「ごめんね」と呟くと、悟浄は八戒の作る夕食を覗きに家の中に戻った。 これであいつは、八戒をゴミだなんて二度と言えない。 「お聞きしたいことがあるんですけど」 その夜、八戒は悟浄にコーヒーを淹れると神妙に切り出した。 「僕の前に、この家にロボットがいたことあります?」 「おまえっきゃいねえよ。何で?」 「僕の部屋のコンセント、何度も充電機のプラグ差した跡が」 「あ」 八戒は悟浄の目を覗き込んだ。 「悟浄。無理にとは言いませんけど、これから一緒に暮らすんだったら貴方の今までのこと、できるだけ知っておきたいんです。別に前のに妬いたりしませんから教えてくださいよ。いたんでしょ?」 八戒の目はいくつもガラスを被せた、これだけはと特注した綺麗な緑色で、悟浄はそれが大のお気に入りだった。八戒の声にも性格にも顔にもぴったり合ってて、八戒以外のロボットに嵌めるなんて考えられない。 「…おまえ」 「はい?」 「今のおまえ、4度目なの。俺が下手に作ったせいで、5日程でメモリーリセットされちゃうの。ほんとはおまえができてから1ヶ月になる」 八戒は何度か瞬きし、額に軽く手を当てて俯いてしまった。 …そりゃショックだよな。でもまた忘れちまうんだろ。 八戒はふと顔を上げた。 「優しいですね、悟浄」 「ど、どこが」 「僕を僕のまま置いといてくれて。そんなの寂しいでしょう。新しく作り直せばいいのに」 「だっておまえがいい」 ぎゃー!何を言う俺。いや別に照れるこたないんだ、また忘れちまうんだし。 八戒は何やらひとりで頷いた。 「これから何度メモリーが消えても教えてください。おまえは5日おきにリセットしてるんだって、ちゃんと」 「えー何で!やだぜそんなの。おまえは知らなきゃ知らないで済むことじゃん」 「いやぁ〜悟浄ってほんと優しい」 「…優しいとかじゃねーだろ」 「好きです」 す…? 「でも僕は教えて欲しいと思うに決まってます。だから次にもちゃんと教えてください」 カシャン。 4度目の八戒と約束したとおり、5度目にも6度目にも悟浄はそのままを話した。八戒はそのたび驚いたが色々な過程を経て納得し、だがきちんと5日おきにリセットされてすぐさま起きあがった。状況も毎回似ている。 「悟浄!」 リセット予定日には申し合わせでもしたようにふたりとも一日中家から一歩もでない。機能が停止する予感という人間には理解不能な感覚に襲われると、八戒はどこにいようと凄い勢いですっ飛んできて、必ず悟浄の目の前でドカンと倒れる。 「うーわ危ねぇっつんだ馬鹿!俺が巻き添えくって死んだらどうする!」 カシャン。 「はじめまして悟浄さん」 「はじめましてじゃねえよ」 「悟浄さあ、八戒のこと好きなの?」 その日は珍しく、三蔵に事情を聞いた悟空がひとりで家に遊びに来ていて、八戒の隣でジャガイモの皮を危なっかしい手つきで剥いていた。つまりその場には八戒もいた。 悟浄は食卓に頬杖をついて親子のように微笑ましいふたりの背中を和みつつ眺めていたが、途端に煙にむせた。 「……まあ三蔵がおまえを好きなくらいはな」 「じゃあ無茶苦茶好きなんじゃん」 「悟空って前途有望ですよね…色々と」 八戒は涼しい顔でボールに水を張っている。 …前途有望。 もう何度目の八戒だか忘れたが、明日あたりまたぶっ倒れるはずだ。そのたび家が壊れていくが、悟浄は大雑把な男だったので、そのような些細なことは一向気にならない。屋根があって人がいりゃ、そこが家だ。 「でも八戒はいつまでたっても悟浄のこと好きになんないよね」 どういう教育してるんだ三蔵。 「おまえなあ、好きってなあ、そんな単純な事じゃねえの」 「だって俺、1ヶ月前より今のが三蔵のこと好きだもん。昨日より好きだもん」 「時間は関係ねえよ」 「あるよ!色んなこと喋って一緒にいて一緒にやって好きになるんじゃん」 「嫌いになるかもしれねーだろーが!」 「…悟浄、大人げないですよ」 話の争点であるところの八戒は、ヒトゴトのようにのんびりと遮った。 「よそはよそ、うちはうちです。悟空もそんなに悟浄を苛めないでくださいよ。メモリーなんか溜まらなくても、僕は僕のやり方で悟浄をずーっと見てます。ちゃんと好きですよ」 好きですよ。か。 悟浄は危うく噴き上がった猛烈な感動を速やかに押さえる術を既に心得ていた。次の八戒に今の八戒の責任をとらせるわけにはいかない。 明け方だった。 ガン! 凄まじい轟音で飛び起きた悟浄が、遂に壁でもぶち抜いたかと慌てて廊下に飛び出すと、八戒は唐突なリセットに不意をつかれたらしく、部屋から半分上体がはみ出した位置で止まっていた。扉は半壊だ。 「…あらら」 暗闇で目覚めるのも気分が悪かろうと、八戒をそろそろ跨いで部屋の明かりをつけた。 見慣れない物があった。 「…何」 いや、なんなのかは分かるが、何。 悟浄は例え相手がロボットだろうが動物だろうがプライベートは重視する生真面目な男だったので、最初に八戒を作ったこの部屋が八戒のものになったその日から、一歩も中に入ったことがなかった。後ろめたさを引きずりながらもそろそろと奥へ進み、申し訳程度の小さな机にぽんと置かれた籠の中身を持ちあげた。 編みかけのセーターにしか見えない。まだ片袖しかないが。 悟浄は編み棒が抜けないよう、慎重に、それを自分の体に当ててみた。 「…俺のだよな」 編み物。編み物って。ここまで編むのにどれぐらい時間がかかるんだ。こういうことにはとんと疎いが、確か昔の女が秋口に編み始めたセーターは春になっても仕上がらなかった。少なくとも5日で、しかも八戒がひとりになる僅かな時間でここまで進むなんてあり得ない。 八戒が生まれたのが9月の末。いつから。どうやって。
カシャン。 背後の音に、悟浄は慌てて机の下にノートを突っ込んだ。 こうやって少しずつ、八戒は自分をここに残してた。次の自分のために日記を残して、少しずつ少しずつ積み上げてた。 …馬鹿じゃねえの。もう年明けちまうぜ。いい加減仕上げろよ。寒いから。 「はじめまして、悟浄さん」 八戒が微笑ってるのを知ってるから笑って振り向こうとしたけど、毛糸の綺麗な生成が滲んで離れない。 ありがとう。 いつ言えばいい? |