訳わかんない人ですね。 その日は寒くて床が冷たかった。いつもの私なら立ちあがってそのへん歩き回っちゃうんだけど、我慢して座った。床が冷たいなって思いながら。床が冷たいなって。 「沖田くん。今日はよろしくお願いします」 山南さんが頭を下げた。私はまだ色々と納得いってなくて、山南さんが頭を上げるまで待った。 「…なんで私に頼むんですか」 「嫌ですか」 「嫌ですよ。やりますよ。やりますけど嫌ですよ」 山南さんはちょっと微笑って「沖田くんは正直でいいな」と呟いた。 そりゃ山南さんは正直じゃないからね。 「私が断ったら誰に頼む気だったんです。斉藤さんですか」 「それは困るな。頼む人がいない。斉藤くんにはもう頼み事をしてしまったし」 「…何です?」 山南さんはちょっと辺りを見渡すふうにして、声を潜めた。 「実は昨晩逃げようとした時に斉藤くんにみつかってね。見逃してもらったんです」 「嘘!」 「本当。土方くんには内緒ですよ」 いたずらっぽく笑って、山南さんは机の前に姿勢を正して座り直した。何考えてんだよ斉藤さん。らしくない。 「永倉くんにも原田くんにも色々と頼んでしまったし、源さんには後処理を頼んでしまったし、平助はいないし、まさか近藤さんには頼めないし。そうだな、君に断られたら介錯なしでやりますよ」 「え」 「私はともかく立ち会う方々が気の毒だな。まあ仕方ない。やってくれないって言うんだから」 「…分かりましたよもう。やらないなんて言ってませんよ」 山南さんは「助かります」とまた笑った。助かるじゃないよまったく。 手元から、墨のいい香りがぷんと匂った。 正直言って、私は山南さんがわかんないんだ。何言ってるかわかんないし、何やってるかわかんないし、何考えてるかわかんないし。でも何か考えてるんだろうなってことぐらい分かるから聞くんだけど、いつも流す。そうかもしれないな。怒られてしまった。いつもいつも勝手に終わらせる。 「…どうでもいいけど何で土方さんの名前が抜けてるんです。何か頼んだんですか」 「何も」 「じゃあ嫌いなんだ」 山南さんは紙を持ち上げ、ふっと息を吹きかけて墨を乾かした。 「…本当に正直だ」 「山南さんも最後ぐらい正直になったらいいんだよ」 「この文を坂本さんに渡してくださいませんか。しばらくは寺田屋にいると思う。滅多な人には頼めないから、できれば君に届けて欲しい。土方くんには内緒で」 思わず「はい」と受け取ってから、私は座ったまま飛び上がった。 「私にはふたつも頼み事して何で土方さんには頼まないんですか」 「ああ、そうか。じゃあ、そうだな…うん、文のほうは松原くんにでも」 「いやあのね」 …いいよもう。この人はこういう人なんだ。さっぱり訳が分からないけど山南さんが最後に選んでくれたのは私なんだから。よくわかんないけど。現実感がなくて。床が冷たいってことだけだ。 ほんと何笑ってんの。ほんとに死ぬの。いなくなるの。夜にはいないの。わかんないよ。意味が。この人が終わる意味がわかんないよ。 「…お預かりします」 「お願いします」 私は立ち上がって障子に手をかけた。 「沖田くん」 「はい」 「土方くんには内緒ですよ」 「…内緒ばっかりだよ」 「嫌いじゃないんですが」 それまでずっと微笑んでいた山南さんは、初めて少し眉を顰めた。 「何か頼むといつまでも恩着せがましく騒ぐんでうるさいんですよ、あの人は」 訳わかんない人でしたよね土方さん。 いつまでも、だって。 私は口が軽いんだよ。 |