新見だ。 …新見だって言ってもまあ、新選組と関係ないといえばないので知らなくてもいい。私のことはナレーションだと思ってくれ。 てくてく道を歩いてたら茶屋があったのでご覧のとおり茶を飲んでいる。他にも客がわさわさいる。よく見えないが。多分私にそいつらへの興味がないからだろう。名もなき歴史の脇役たちが、こう、向かって右から歩いて来て、ここで一服して…たまに脇目もふらず走り去る奴もいるが、生きてた時も走ってたんだろう…気がすんだら、皆、左に行く。そうすることに決まっている。 どこに続く道なんだろうな。怖いような早く行きたいような。 殿内もいた。覚えてないだろう。私も覚えてない。佐久間象山もいた。にしきとはよい名だ錦鯉の錦かとかなんとか喋って馬でパカパカ去っていった。面白かった。久坂玄瑞も見たな。あいつは集団でやってきて元気に走り去ったが、あれは久坂だ。私はああいう熱い男は苦手だ。あの血気盛んな感じは土方に似ている。見てるだけで疲れる。 芹沢先生が来たのは早かった。私が座ってから、感覚としてはものの1分だ。土方の野郎は俺に詰め腹切らせたその足で先生まで斬ったのかと、一瞬思った。多分時間の流れが違うのだろう。時間があるとしてだが。 「おー?おうおうおうおう新見先生じゃねえか」 逃げようかと思ったが、もう殴られても痛くはなかろうと思い直した。怖いことなど何もないのだ、私には。策謀にも流血沙汰にも、もう縁がないのだ。 「先生、お待ちしておりました」 あ!はよ死ねと思ってたみたいじゃないか。失言失言。 しかし待っていたことには変わりない。私は芹沢を待っていた。 「ひさしぶりだなぁ。でもねえな」 「…あっという間でしたな」 「てめえの初七日が明けるか明けないか程度には生きてたぜ?あ、明けてねえな。いや明けたか」 どうでもいい。 邪魔するぜ〜と先生はどっかり腰を下ろした。ああ、変わらないな。距離が変わらない。 「芹沢先生も土方に?」 「んー…あー」 芹沢は律儀に指を折った。 「土方、山南、左之助、沖田。4人だ。とどめは本命だ。沖田だよ。嬉しいねえ」 …嬉しいか。嬉しいのか。 生前裏切っておいてなんだが私はこういうところが好きだったのだ。土方も近藤も永遠に追いつけない肝が、確かにある。 「てことは、ここでのんびりやってりゃ次から次へと人が来るって訳かい。へええ〜おもしれえや」 …おもしろいか。 「おい、次に来る奴賭けようぜ」 何が何でも遊ぶ人だな。 「俺ぁ沖田には長生きしてほしいね。さんざ人斬りまくってボロボロになって来るぜ、あー面拝むのが楽しみだ」 …その気持ちはよく分かる。どうせ殺されたのなら敵には長生きして欲しい。 トーナメントで負けた相手チームには優勝してほしいのと同じだ。 「新選組、という名前なんですか」 「ああ。どうだ」 「しんせんぐみ。…八百屋の宅配みたいだな」 「同感だ。近藤は気に入ってた。ダメ出しするとすぐ泣きそうな顔するからよ、言えなかった」 あいつらは知らないままだろう。芹沢が連中のことを話す時は、いつも自分の息子を語るかのように笑うこと。近藤や沖田は赤ん坊みたいで可愛い、土方はいきがってて可愛い、斉藤は犬みたいで可愛い、山南は雛人形みたいで可愛い、原田は腕白で可愛い、どいつもこいつも可愛い可愛いだ。殺された今でさえだ。 私は芹沢先生を知っている。深く、深く知っている。 それにしても、私は何故先生とのんびり茶をすすっているのだろう。 生きてた時より、強く思うのだろう。 「新見」 何故私はこの人を売ろうとしたのだ。そんな真似をしなければ私は腹を切らずにすんだ。 いやどっちにしろ芹沢と前後して殺されただろうが、それでも、死ぬなら一緒に死ねばよかったのに。 保身。保身はあった。芹沢に愛想も尽かしていた。プライドが高くて、投げやりで、でも寂しがり屋で、持て余した。この人は死にたがってた。生涯仕えたい人間ではなかった。好きではなかった。しかし断じて嫌いではなかった。 「新見。辛気くせえ真似はよせよ」 「…すみませんでした」 「誰に賭ける」 「……すみませんでした」 「俺は斉藤だ。あいつは怖いもんナシだからな、まっさきに斬り込んでざくっ!だ。早くおいで斉藤〜」 新見、俺のことが余程嫌いらしいな。 ぐわっと何かが込み上がった。 私はこの人に同情していた。だから傍にいた。 子供みたいに荒れて、でも歳だけは重ねて、半端に達観して、強すぎる自分を持て余して、いっそもっとバカなら楽だったのに頭がきれて、近藤みたいなガキの魅力を一瞬で見破ってしまえて、苦しんで、ああなんて気の毒なんだ、可哀想だ、可哀想な人だ、可哀想すぎて見ていられない、だから、だから見限ろうと。 「先生のことが嫌いではなかった、ただ」 芹沢は思わず立ち上がった私を見上げて、すぐふいっと目を逸らせた。 …愛しかったのだ。 私は生きてる間に思ったままを言ったことがなかった。 駆け引きに囲まれて命を守って生きてれば、本音など言えない。 ガキじゃあるまいし思ったままをそのまま言える訳がないのだ。 言えばよかったのに、言わなきゃ分からないだろう、泥を食ったことのない幸せ者の台詞だ、それは。 言えなかったことを、ここで言うための、その場所が、ここなのか。 …木漏れ日が眩しい。茶が美味い。 私は。 幸せだ。 目の前を、面白い顔をした奴が走り抜けた。「裏切りもーん!」とか「山南に会わせろ!」とか騒ぎながら。芹沢は「なんだありゃ」とくすくす笑っている。 やまなみ。 「…私は山南に賭けよう」 芹沢はぎょっとしてこちらを見た。 「副長じゃねえか」 「そうですが」 「しかもあいつ内勤だろう。死ぬ理由がねえよ。何で死ぬんだ?」 「…そうですが」 「わざと俺に勝たせようとしてねえか?今更機嫌とるこたねえぞ?」 「そんなことはしません。生きてる間にたくさんやった」 「はは、そりゃそうだ。よくやってくれたよ」 胸が詰まる。私は目尻を擦って目を凝らした。 ほら。 山南だ。 何故か菜の花片手にぶらぶら道をやってくる。腕組みもなしに、無防備に。 「…先生。私の勝ちだ」 「…たまげたな。毒でも盛ったのかい」 そのようなものだ。呪いをかけた。 土方と山南はまったく噛み合っていなかった。一緒に歩いていたはずが、土方は今にも走り出そうとしていて、山南は既に立ち止まろうとしていた。こうなることは分かっていた。そういえば私は山南のことも、なんとなく可哀想だと思っていた。腹を切ったあの時も、山南のことは憎まなかった。そういうところが、山南にはあった。 山南はのんびり傍までやってきて足をとめ、優雅に頭を下げた。 「…ご無沙汰しております」 「してねえよ。来たとこだ」 芹沢は湯飲みを取り上げて、山南の席を作ってやった。 「くたばるなら土方のほうが先かと思ったがなぁ」 「実はこのたび切腹を致しまして」 芹沢は茶をふいたが私はふかなかった。 「…おまえもバカだな」 「ええ」 「自業自得だ」 「ええ」 山南はにこにこしている。何だかもう幸せ全開といった感じだ。辛そうだったからな、いつ見ても。 「立派に死なせて頂きましたよ」 「おいおい俺だって立派だぜ?」 「ええ、ほれぼれしましたね」 何の自慢だ。 「…私はどうせ立派じゃないよ」 「介錯は沖田くんにお願いしました」 「へぇぇ〜沖田の介錯か!初物か!いいなあ〜」 あんたらは沖田ファンクラブか。 3人で足をぶらぶらさせている間にも次々に人が入れ替わる。 「ところで両先生方はいつまでここに?」 山南が小首を傾げて尋ねる。 左の道がどこへ続くのかしらないが、最後のところまで行き着いたら、きっと本当に全部終わるのだろう。この目も、手も、なくなるだろう。想いを告げる、言葉もなくなる。 私は先生にも山南にも会えてしまった。用は済んでしまった。 芹沢は少し俯いて、それから空を見上げた。 「会いてえ奴がいる」 「…沖田ですか?」 「いや。あいつはもう少し先だな。そんな気がする。その前に話してぇ奴がいる」 私には皆目見当がつかなかったが、山南は小さく「近藤さん?」と呟いた。 「新見と山南が両脇にいるとあれだな、頭いらねえよな」 先生は笑う。私と山南は、目をあわせて慌てて逸らす。 「山南は?」 「私もここで会いたい人が」 「へえ。誰だい」 「土方くん」 これは私にも先生にも意外だった。副長同士でさんざんしゃべくっただろうに、なおかつ決裂したのだろうに、この期に及んでまだ話すことがあるのか。 「あそこではお互い、話せないことばかりだったから」 「おいおい聞いたか新見。怪しいなぁおい」 山南はふんわり笑った。 「私は、また機会があることを知っていたような気がします。あそこでできなかったことや聞けなかったことも、ここに来てから話せばいいと思っていた」 そうだろうか。なあ、そうだろうか。 確かにここには茶屋がある。 しかし、なあ。 死んでから辻褄合わせようなんて狡くないか。 そんな生き方は狡くないか。 実際山南は割り切っていても、土方はまだここの存在を知らないだろう。惜しかった、足りなかった、間違った、後悔だらけで苦しんでいるかもしれない。 そう言うと山南は頷いた。 「そうかもしれない。でもいいんです」 「何がいいんだ」 「私がよければいいんです」 私は呆気にとられ、先生は爆笑した。 「そのとおりだ、山南先生は近藤近藤でろくに自分のことも考えやしなかったんだ、ようやっと言ったぜ。俺がよけりゃいい。正しいぜ。みんなそうすりゃいいんだ。なあ新見、おまえもおまえがよけりゃいいから俺を売ったんだ、もういいんだ、全部終わった。死んでまで悔やむことなんかねえんだよ。いい身分じゃねえか」 …いいのか。 あんたらは皆、逝った俺たちを許してくれるのか。 先生は上機嫌だ。 山南もにこにこ笑っている。 なあ、幸せすぎないか? 口に出そうとして慌てて呑み込んだ。言葉にしたら消えてしまいそうで。 もしかしたらこれは、私か、先生か、山南の見てる夢じゃないのか。 俺たちは夢。 近藤の。土方の。 そこに生きてるあんたたちの。 私たちは夢。 もうどこにもいない。 |