行きつけの店は軒並み土方の間者が目を光らせていそうな気がした。 元々永倉は市中警護以外に外を出歩くことがあまりないので、そういったことに明るくない。 背後の気配がふと消えたので振り向くと、山南は道端の露天で呑気に菓子を買っている。 「……」 呆れた。何の話で呼び出したか分かっているはずなのに。 「歩きながら話しましょう、永倉くん」 山南は足早に永倉に追いついてきて、金色の飴細工を差し出した。 空はムラのない浅葱に、よく晴れている。暑くも寒くもなく心地よいだけの風。手には半透明の黄金が見事な職人芸で捻られた飴。 「…美しいものだ」 朴訥とした物言いに、山南は嬉しそうに笑う。この人は普段から笑顔だが、この笑顔は本当だ。 「そうですね。綺麗だ。京のものは皆、本当に美しい。工芸も、人の心根も」 飴を舐めながら、あてどなく京の小径を歩く。 だんだんに、足が重くなる。 我々は心根の美しい、京の人間ではないのだ。 本来なら昼日中にこんな話はしたくないが、時間がない。 「山南さん。貴方を置いていくのは心配だ」 山南が何か言いかけたので、その前にと慌てて言葉を繋いだ。 「貴方を京に置いていくのは心配だ。原田も島田も謹慎中、そのうえ私と近藤さんと藤堂がまとめて留守にしてしまったら」 そこで永倉は一瞬躊躇った。だが躊躇っている時間も惜しい。 「貴方の味方が誰もいない」 永倉にしてみれば相当思い切った非道な宣告だったにも関わらず、山南は相変わらず穏やかな笑みを浮かべて、細工が折れないよう角度を変えながら慎重に飴を溶かしている。 「…山南さん。人の話を聞いてますか」 「はい」 「土方さんから貴方を守る人がいないと言っているのです」 「はい」 「山南さんは私と土方さんを離したほうがよいと言ってましたが、私にしてみれば貴方と土方さんをふたりにするほうが余程危険だ。近藤さんに頼んで貴方も江戸へ行きましょう」 「それは無理だ」 山南は飴細工の一番上を歯でパキンと折った。 「私がいなければ余計に土方くんが何をするか分からない」 「…それでは私が残って、総司を江戸へ」 「近藤さん直々に貴方を連れていきたいと言うのですから、それも無理だ。そもそも貴方が残ったところで、本来は謹慎中ではありませんか」 「何を淡々としておられる!」 永倉の怒声は地鳴りのように低く遠くまで響き渡った。 「失敬、取り乱した!」 「永倉くんの声はいい。なんともよい声です。きっと指導者に向いている」 永倉は本気で泣きたくなった。 この人は頭がどうかしてるんじゃないか。 どうして事の重大さに気付かないのか。 どうして真剣に話を聞いてくれないのか。 相手が総長でなければ、両肩を揺さぶって平手でもかまして目を覚まさせてやるところだ。 「…もういい、私から近藤さんに話す。話して貴方を守ってもらう」 「それも無理だ」 山南の声音はまだ変わらない。また、パキンと飴が崩れた。 「近藤さんは土方くんの言うことしか聞かない。貴方が言っても無理だ」 無理だ無理だと、ではこの人は諦めてしまったのか。生き死にがかかっているというのに。 土方は暴走している。内部粛清に何の躊躇いもない。女のように整ったあの顔で、背筋も凍るような汚い言葉を吐く。誰よりも山南を疎ましく思っている。土方が動くとしたら、近藤の留守に違いないのだ。山南の味方が揃って邸を離れるか隔離されている、こんなチャンスを奴が逃すものではない。 「後生だ山南さん、私を安心させてください。このままでは私はとても京を留守になどできないのだ」 山南は、ふっと顔を上げた。 「…生きて待っていればいいのでしょう…?」 ぱきん。 永倉の見ている前で、飴が大きく食いちぎられた。 ざっと腕が粟立った。 山南の顔から笑顔が消え、微かに開いた唇の間から覗いた舌が口端の砂糖を舐めとった。 ぼり。 ぽき。 ぱきん。 みし。 耳の奥を擦りあげるような不快な音だ。骨が軋む音。折れる音。 無惨に割れた黄金を、山南の白い手が、普段の彼からは信じられないような荒っぽさで更に粉々に握りつぶす。鶏の首でも絞めるような所作で壊された細工が、指の間から地面にバラバラと落ちた。 通行人がぎょっとして足を止めた。 「…私のことは心配なさらず。無事のお帰りをお待ちしています」 山南はくるりと背を向けると、特に急ぐでもなくゆっくりと八木邸の方角へ戻っていく。 永倉は足下を見下ろした。 あっという間に蟻がたかる。死骸に群がる蛆のような貪欲さに、喉元に酸っぱいものが込み上がって、永倉は思わず喉に掌を当てた。 私は何を見ていたんだ。暴走した土方と、虐げられる山南。それだけだったか?本当に? 気がついたら意味もなく、何度も何度も呟いていた。 土方さん。 土方さん。 あんた。 …気を付けろ。 |