「なんなんだあいつは」 ツォンのレノ観は要約するとそれに尽きた。 「特に食いたくもないウナギの掴み取りを延々させられてる気分になる」 「…つまりは苛々すると?」 ルードの物言いはいつも端的だ。 「ときにツォンさん。今、上司として話してるのか?」 「馬鹿を言え。部下としてのレノに一片の不満もあるものか。奴は完璧だ、勿論おまえも。これは個人的な愚痴」 現在オフィスにはツォンとルードの2人だけ。レノはミッドガルを離れて潜入捜査中。出張予定は5日間。これほどの長期間単独でレノがオフィスを不在にする機会はそうはない。レノに関する質問を、ルード以外の誰にする。 「どうにも掴み所がない。嫌われてるのかとさえ思う。正直なところどうなんだ、おまえといる時は」 どんな階層のターゲットであろうと即座に懐に引き摺り込んで煙に巻くレノの手練手管は、戦闘能力は当たり前のタークスで彼が更に頭ひとつ抜ける理由のひとつではある。だがプライベートで発揮されると迷惑だ。 ルードはサングラスを押し上げた。 「…申し訳ないがツォンさん。言えない」 「おまえが頼みの綱なんだが…」 「個人的な質問なら個人的に答えるが、言いたくない。レノのことは」 ツォンは軽くこめかみを揉んだ。 「…相棒じゃなかったか?」 「ツォンさんには好意と敬意を持っている、そこは心配いらない。不可解な言動があったんなら、偶然レノの地雷を踏んだだけだろう」 「涼しい顔で言うことか、地雷があるなら早く言え。上司が吹き飛んでもいいのか」 ルードはしばらく言い淀み、諦めたように溜め息をついた。 「……俺の話題は避けた方がいい」 謎が増えただけだった。 「なんなんだ、おまえたちは」 今にも火のつきそうな友情。そう見えた。 それが燃えも消えもせず止まっているのが、ツォンの目には不思議だったのだ。ただ不思議。 だから先日、出張前で妙にテンションの高いレノに絡まれている最中に、何の気無しに尋ねてみた。 「おまえは?ルードとは付き合ってるのか」 直前までレノはツォンの異性の好みを、いやこの際同性でもいいから何か言え教えろ巨乳か巨根かととんでもなく下世話な質問責めにしていたのだ。なのにルードの名前が出た途端、こちらが不当な反則技でも繰り出したようにレノの目が一気に冷えた。 「ルードはそんなんじゃない」 …酷くない? おまえほんの数時間前に勤務からふたりで戻ってきて、あー今日もルードがかっこよかったー何でこんなにいい男なんだよもー好き好き大好き愛してるー!とか言ってらしたがあれは夢?そこまで派手に気分を害するような不自然な流れか? ツォンが固まっていると、レノは睫毛を伏せて視線を斜めに流すという場違いに魅力的な動作をして寄越した。 「…好きですよ俺は」 「あ…え、そうなのか」 「あそこの相性が良すぎてヤバいのなんの」 「…待てよ?」 そこでレノはまた場違いににっこり笑った。これはダメだ。完全に弄ばれている。 「あのねぇツォンさん。前のは信じて次のは疑ったでしょう。俺がそういうふうに喋ったからな。だから俺に何聞いても意味ない。これは空気を埋めるだけの楽しいやり取りだぞ、と」 一気に言って、レノはこの話は終わりというように手を叩いた。 「で、巨乳?巨根?」 「…普通がいい」 レノとルードへの何が何だか分からない聞き取りからでも、ツォンは大まかながらに状況を把握した。 互いの話をしたくないと言うことは、互いの意見がまとまっていないということだ。まとまってはいないが尊重はしているから、自分の意見だけを主張できない。 なるほど面倒くさい。もうやめだ。 ツォンは合理的かつ賢明な上司だった。業務に支障がないならこれ以上の詮索は無用だ。 その頃帰宅したルードは出張先から届いた相棒のメールを受けていた。 ─ツォンさんがなんか言ってきたら適当に頼む。 なんかとか適当とか指示が曖昧すぎるし遅すぎるが、おそらくさっきのことだろう。自分の性格上適当には答えられないので正直に話したが。というより話さなかったが。 22:18の時刻表示を確認すると、ルードはレノのプライベート携帯を鳴らした。30秒コールが続いて、やっと出た。 「レノ?」 『死ねよてめぇは』 突然の死刑宣告である。慣れたが。 「…おまえの声は通るんだ、俺のそばに誰かいたらどうする」 『いたらかけてくるか。潜伏中の同僚の携帯気安く鳴らすんじゃねえよ』 「音が鳴ってるんだからおまえは今宿屋だし、声からして酔ってるんだから今日の仕事は打ち止めだろう」 『何の用かと聞いてんだ馬鹿野郎これ以上てめえの声ちんたら聞いてたら耳が腐るさっさと言えそして切れ永久に』 もう無茶苦茶だ。 「…そんなおまえに朗報だ」 『は?』 「おまえが戻る頃には俺はいない。良かったな。じゃあ元気で」 通話を打ち切ると、ルードはネクタイを解いてクローゼットにかけ、カウントした。さん、に、いち。 狂ったように携帯が唸り出した。 『ふざけんじゃねえぞこらいないってなんだ俺のいねえところで勝手に世界を回すな!』 「冗談だ。肝と頭が冷えたところで本題だがツォンさんの件で」 『言っていいこと悪いこと!』 「失敗したのか?」 レノはようやく黙った。 「直属の上司に不快な思いをさせてどうする。上司に抱かせるのは最上級の信頼かつ適度な愛着、だったろ相棒」 天才だ。 ルードには初対面でそれが分かった。レノは天才的な詐欺師だ。 抜群の勘とセンスと演技力。声音と表情をころころ変えて自分へのベクトルをすべて自分の都合のいいように操作する。好意、友情、愛情、欲情、そのレベルまで。逆に警戒されたい時、恐れられたい時、苦手にされたい時、憎まれて制裁の勢いをつけたい時も相手の感情はレノの思うがままだった。 悪意はない。恐ろしいことにたいした計算もないから、詐欺だというと語弊がある。レノには息を吐くのと同じぐらい当たり前のことだった。 したがってレノはルードから見て、気がおけず、頼れて、可愛げがあって、適度に危なっかしくて目が離せず、現場での決定権をついつい譲ってしまう、まあそんな感じの相棒になる予定だった。 がルードには通じなかった。レノの意図がすべて見えた。ルードが特別聡かったとか同類だったという訳でもなく、たまにはそういう人間もいるというだけの話だ。そんな2人が出会ってしまったのは運命といえば運命だが偶然といえば偶然だ。ルードはレノが好きに統べていた帝国に現れた、必殺技無効の天敵だった。 という訳で今や口を開けば罵詈雑言である。ルードが何を言っても聞き流すので悪化の一途だ。相棒としては最高だ、何せ意図が丸見えなので息が合う。レノと正反対で自分がどう思われようと意に介さないルードは、人前ではレノのノリに合わせるし余計な口も一切きかない。離れる理由も選択肢もない一番身近な人間が、一番思う通りにならない事実が、ひたすらレノの気に食わないのだ。 『あぁ失敗だぞ、と』 レノは珍しく素直に認めた。ばふっと音がしたからベッドに突っ伏したんだろう。 「俺の話題が出たからってキレたのか?」 『いや吃驚して思わず』 「…びっくりして。おまえが」 『だって急に付き合ってるのかって』 「そんなこと社食で女子社員に日に10回は言われてるだろう』 『あいつらには俺が言わせてんだろうが、ウケがいいから!堅物のツォンさんから来ると思わねえだろ。卑怯だ』 堅物をシモネタで突くからやり返されただけだろうに、人ひとり丸ごと掌握できると信じるこの傲慢さ。純粋がすぎてまるで子供だ。天才って大体そういうものだが。 「…あの人はもう俺の話題は出さない。安心しろ」 『それはどうも』 憮然とする顔が見えるようだ。 「レノ、最近腕が落ちたな?御礼は?」 『ありがとなルード!もうさっすが俺の相棒!かっこいい!愛してるぜ!…おやすみクソ野郎』 一方的に切られた携帯を閉じると、ルードは窓から夜空を見上げた。 ここと違って出張先のコレルは連日雨予報だ。風邪ひかないといいが。 『動いた!』 レノからの電話連絡はさらに3日後の夜9時過ぎだった。その辺りになると打診はされていたからツォンはオフィスに待機しており、ルードは理由は定かでないがそこにいた。 レノの声音はこれ以上ないほど浮き立っていて今にも空を飛びそうだ。 「おまえの読み通りだな。よくやった」 『今すぐつけりゃイケる、絶対親玉出てくるって!現場抑えていいか!?』 「待て、組織絡みならひとりで行かせる訳にいかない。当たりつけたら引き返せ」 『待てねえ見失う!頼むよツォンさん、5日も張ったんだぞ!』 「気持ちは分かるが」 ツォンの肩越しに伸びてきた拳が電話機のスピーカーボタンを、ほとんどぶん殴った。 「レノ。戻れ」 『…あれ?ルードいたの?も〜だからそれができねえから頭下げて頼んでんだぞ、と』 「下げてないだろ。下げててもダメだ」 『あんたと話してんじゃねえんだよ。なあってツォンさん、お願い!絶対にヘマは』 「主任が許しても俺が許さん」 一瞬、空中に針が突き立つような沈黙が降りた。 『……何様だてめえ』 「おまえだろ」 「ルード黙ってろ!」 ツォンが声を荒げてようやく、ルードは息をついて一歩下がった。 「レノ、聞け。許可はできない。その場で抑えた証拠を持って直ちに戻れ。これ以上は制裁対象になると思え。意味は分かるな」 言い終わる前に通話が切れた。 「……あのバカ」 「分かってますよレノは。ちゃんと戻る」 ルードはネクタイを緩めて自分の席にどかっと腰を下ろした。 「ならいいが。少し荒れるか」 「荒れやしない」 「ルード」 ルードは先程の激昂がなかったかのように表情の見えない顔をこちらに向けた。 「おまえの態度も問題だぞ」 ルードは返事をしなかった。 だがルードの言うとおり、レノは日付が変わる頃にまったく普段通りの顔でオフィスに戻ってきた。ヘリの中できっちり報告書を仕上げており、細部を口頭で補足した。なんの不足もなかった。完璧だ。 「長期間ご苦労だった」 「ツォンさんも」 「すまなかった」 レノはしばらく黙っていたが「俺もすみません」と神妙に頭を下げた。 荒れてはいない。ルードの言うとおりで良かったが、何故ルードの言うとおりなんだ。 「…突入の時は、俺は同行しても?」 「当たり前だ。おまえの獲物だ」 レノはやっと目元を緩めて頷くと、唐突に「ルードはいらねえから」と言い放ってそのままオフィスを出て行った。視界の端に、ルードが席を立って後を追う後ろ姿が映った。 …おいおい。荒れたぞルード。 ツォンは僅かに安堵した。あのルードの目論みすら外れるんだから、自分に読めなくても当然だ。 「レノ」 長い廊下をさらに3歩進んでから、レノはやっと振り返った。 「呼び出し方が雑だ」 「思い上がんな。今あんたの顔見たくねえ」 「俺は見たい」 ルードはつかつか近寄ると、レノのゴーグルを掴んで押し上げた。 「いっ…」 パラパラ落ちる赤毛に紛れてはいるが、ざっくり切れたまだ新しい傷。 「…相当危ない橋を渡ったな。主任は騙せても俺に通じると思うな。演技が過剰だ」 「…あんたがここにいるはずじゃなかった」 ルードの指とレノの額の間から一筋、糸のように血が垂れた。 「他に怪我は。手当てを…」 「あんたが大嫌いだ」 社の廊下だ。 24時間人が絶えない神羅ビルでこんな発言は、普段のレノなら考えられない。ルードへの悪態は確実にふたりきりの時に限定され、それでもミッドガルとジュノン周辺では口にしない徹底ぶりだったのに。 「…どうしたレノ」 「そんなに俺を見透かすのが楽しいか。あんたに会う前は俺は平和だったんだよ。俺の世界は全部俺のものだったんだよ。あんたが壊した。もう嫌だ。頼むから消えてくれ」 見透かされてるのはお互い様だ。ルードの意図だってレノには筒抜けだ。だからこその罵詈雑言だ。 「…俺がいなくてもいずれ誰かが壊した。というか今おまえが自分で壊してる。額を切っただけに見えるが、どうやら頭も打ったな」 「…言いてぇ事はそれだけか」 「おかえり」 レノの眼に張った膜が、ゆらりと揺れた。 倒れるのかとルードが思わず腕を掴むと、レノはそのままどんと身体ごとぶつかってきた。疲労と怪我で体温が高い。耳の後ろで取った脈の早さが手袋越しにでも分かる。 「…手当てする、うちに来い」 「嫌だ襲われる」 「俺が?おまえを?襲う?何故」 何故、と言いながらルードはレノに口を開かせなかった。 「どうせおまえは俺に落ちる」 怒鳴る代わりにレノが吐いた熱い息が、ルードの胸元に染み透った。 「…悪いが何を喚いたところで俺は変わらん。いい加減に諦めてくれ」 レノが何より腹立たしかったのはこれだ。 ルードが落とそうとした方向に落ちないばかりか、まったくそんなつもりじゃない地点に勝手に墜落したことだ。台無しだ。 …友情で良かったんだ友情で。火がつきそうでつかない友情で。一番平和で。 「惚れるか普通」 ルードが事もあろうに銜え煙草で額にガーゼを当てるから、髪が燃えないか気が気じゃない。 「あんなにボロクソ言ったのに」 「悪手だったな。最初は喋らなきゃ可愛い程度だったがあんまりボロクソ言うから慣れて喋っても可愛くなった。俺は被害者だ。好みは黒髪ロングで控えめ清楚な豊満女子だ」 「…具体的すぎて気持ちが悪い…」 ルードは救急箱をパチンと閉じると、シーツを替えるからと怪我人をベッドから引き摺り下ろした。 「おまえは。好みのタイプ」 「……特には」 「じゃあ俺にしろ」 「じゃあじゃない…」 レノは床からソファーにずるずると這い上がった。俺が誰に惚れるか決めるのは俺だし、誰が俺に惚れるかを決めるのも俺だ。だったのに、ルード相手に一瞬もペースを掴めない。この俺が。 「…よぉ相棒。俺に落ちるとか湧いたこと言ってたけど、それなんかこう、根拠みたいなもんはあるのか?」 「簡単に操れる相手に興味は湧かんだろう。それに俺は気が長い」 「…落ちなかったら」 「落とす」 ルードは急にベッドメイクの手を止めて振り返った。 「ベッド貸そうと思ったが、サイズ的にはおまえがソファーだな?」 「馬鹿野郎か落とす気ねえだろ。出張明けでソファー寝するぐらいなら帰るぞ、と」 ルードはシーツを掴んだまま、真剣な顔でベッドとソファーを見比べた。 「だからふたりでベッドとか考えんな。生きてソファーか死体で床だ。あんたが」 「…分かった」 狭い部屋に真っ白なシーツが、必要以上に勢いよく舞った。 「どうせ時間の問題だ」 …この傲慢さ。もうほんと嫌だこいつ。 レノは傷をガーゼの上からそっと撫でた。そして恐ろしいことに気がついた。 ルードと会う前は確かに平和だったが、ルードと会う前をまるで思い出せない。 確かに時間の問題だ。 落とす。 とか言ってた奴が黒髪女子にヘリごと落とされてやんの。笑う。何この地獄絵図で身体張ったギャグ。最高だぞ、と。 七番街支柱に火の粉が舞い上がり、背後から熱風に煽られる。身体中がギリギリ痛む。最悪の任務、目の前に死闘、死闘の先にもまた地獄、ルードがいなきゃ心が折れてた。 「どうせ降りるつもりだった」 またこんな状況でなければ爆笑ものの言い訳だ。あんたは俺を殺す気か。まあ俺もどうせ落ちるつもりだったよ。いつかは。 「頑張ろうぜルードぉ。これ終わったら落ちるかもー」 ルードは笑った。 「落ちてから言うな」 「…あんたこそ降りてから言うな」 さて、とレノはロッドを握り直した。今まで思い通りにならなかった事はないから今回も、生きて戻れるには違いない。 ルード。ルードだけ。なんだってあいつだけが俺の予測を外れたんだろう。 レノは急に理解した。心臓が飛び出るほどはっきりと。 外れたのはルードじゃない。俺だ。初めての恋だ。 |