「おまえは暗いところで見ると、薄気味悪いほど綺麗だな」 ジッポの炎で照らせる範囲などたかだか知れている。額がくっつくほどの距離で珍妙なセリフを吐くルードの目に、俺のどこがどこまで見えてるのか極めて怪しい。 「…相棒。もう少し灯り下に頼むぞ、と」 「妖怪のようだ」 「手元を!照らせ!あと褒め方が斬新すぎる」 「褒めてない。魂抜かれそうで怖い」 ああそうかい。なかなか抜けないと思ったら太陽のせいかよ。 「ほいできた。バッテリーは保って10時間てところだぞ、と」 コードを繋ぎ直して一振りすると、地力を抑えられた青い電気が控えめに点滅した。これで愛しのナイトロッドが無いよりマシ程度のペンライトに早変わりだ。泣ける。 「無いよりマシだが無いのと変わらんな」 「泣くぞほんとに」 スマホはルードのサングラスと一緒に割れた。時計の蓄光も期待できない。頼れる灯りはルードがたまたまポケットに突っ込んでいたジッポだけ。 「まあ真っ暗でもふたりなら精神的には多少保つだろう。肉体的には…おまえのほうがヤバそうだな。こういう時の為にきちんと日頃から蓄えておけ、金も皮下脂肪も」 「日頃から散々俺の奢りで飲んどいてその言い草…」 ルードは微かに笑った。 「奢りすぎだ。俺に」 さて上も下も分からないほど完璧な闇と静寂の中に放り込むと人はあっという間に狂う。面白いほど簡単に壊れる。何度も拷問に使った場所だ、効果の程は知っている。裏切り者を追いかけまわし、予想外に予定外の土地まで引っ張り出された挙句にまんまと返り討ち。タークス史から抹消されかねない不始末だ。情け深い仲間たちが事態に気付くのはいつで、いつここに思い当たるか。もしくは永遠に思い当たらないか。 「手出せ、レノ」 ルードがネクタイを引き抜いた。 「縛るぞ」 「あ、はい。…はい?」 一方を俺の手首に巻くと、もう一方は自分の左手首にくるっと巻いて右手と口で器用に結ぶ。瞬きする間もない見事な手際。 「長期戦なら少しは寝た方がいい、その間に離れて動けなくなったら面倒だ。痛くないか?」 「はい…」 「はいってなんだ、しっかりしろ。おかしくなるのはまだ早いぞ。本番はこれからだ」 危ない。言ってることが卑猥に聞こえるしネクタイに歯を立てるルードが腰にきたしルードの解きたてのネクタイで縛られるしサービス過剰だ何だこれ。俺がおかしくなったにしても、おかしくなり方はこれで合ってるのか? 「つかルード。手首繋ぐって心中…入水自殺する時の」 「思うにとどめろ」 「死体で発見された時に絶対できてたと思われる…」 「何の不都合があるんだ。死後に伝記でも出版されるのか」 「気を使って同じ墓に入れられたらどうするよ。まあ、もう入ってるようなもん」 「消すぞ」 炎が消えた途端、暴力的な闇が来た。 目を閉じた時とも夜ともまるで種類の違う人工的な暗闇の圧倒的な質量が、耳や鼻から侵入してぎゅうぎゅうと脳を押し潰してくる。姿勢を保つつもりが平衡感覚を失って、ないはずの視界がぐらりと揺れる。 「やっべ。思ったよりキツい」 「…来い」 肩を抱き寄せられた途端、闇の重さが消し飛んだ。高い体温と強い鼓動。汗と埃とルードの匂い。人の体がこんなに愛しいものだとは。いつまで続くんだこのサービス。 「…気持ちいい…癖になりそう…」 「言い方」 「もしかしてここ、空気もヤバいか」 「…外よりはな」 「あんたといると結構いつも息苦しいぞ、と。ドキドキして」 「あまり妙なこと喋るとフラグになるぞ」 「そういや男は命の危機で勃起するっていうけどよ」 「もう少し平和な話題はないのか」 「あんたに抱きしめられて幸せ」 死んでもいい。 呟いた瞬間、ルードの体にビリッと緊張が走った。…しまった油断した。思いっきり実感込めてしまった。 「…ばぁか怒んなよルード。冗談だろ」 いつもの冗談。 「…おまえの冗談は時々面白くない」 「へぇ。わりと打率いいんじゃん…」 なぁ。…でもなぁ。 こんなことがなければあんたは俺に触れもしなかった。清々しいほど真っ直ぐな友情が、いつも俺をガラス越しに弾き飛ばした。同情に訴えれば、酒の勢いで縋れば、一晩でも奪えば優しいあんたがずるずる落ちると分かってて、俺はどれもしなかった。いつ本音が口をついてもいいように、いつもの冗談で流されるように、軽口叩き続けて我慢して、今日の今まで耐え抜いた。あんたの隣で立派に健全な相棒を勤め上げた俺をいっそ褒めて欲しい。堪え性のない俺が、我ながらよく頑張った。 …もう充分。充分だろ。 「レノ!」 そっちに引っ張られるな。此処じゃない場所の夢を見るな。必ずここを出ると誓え。本気でおまえがそうしたいなら、これ以上ないほど明るい場所で、きちんと天国を見せてやるから。 …何言ってんだルード、ややこしいな。どっちにしても昇天じゃねえか。 おまえがそうしたいなら。ああ優しいなクソが。こんな励まし方しても、無事に出られていざ抱こうったってヤらせるか。あんたが俺に触りたくて堪らなくなって手を伸ばさなきゃ意味ないんだよ。何の為に我慢してきたんだよ。あんたがしたいことしかしたくないんだよ。あんただけだ、そんなのは。なんでそんなこともわからない。 「レノ、聞け。俺を見ろ」 だから見えないって真っ暗で。さっきから何か変だと思ったぜ、これ全部俺への最期のご褒美だ。きっとそう。 こんなしくじりは二度とない。 ふたりきりであんたに縛られて抱きしめられて逝くなんてそんな死に方するチャンス、今を逃せば二度はない。 「……呆れるな、おまえには」 不意に肩に指が喰い込んだ。抉られそうな激痛で声を出しかけた俺をルードが思いきり突き倒し、冷たい床が背中を打った。 「いっ…!」 耳を炙られそうな距離で、苛立たしげにジッポが灯る。 そんな死に方できるわけないだろう、甘ったれるな。夢見る権利がおまえにあるか。自分が見えてないなら俺を見ろ。俺と今まで何してきたか思い出せ。何人踏みつけた。何人こうして闇に葬った。血反吐吐いて泥の中で這いずりまわってズタズタになって苦しんで苦しんで生き伸びた後で墓も持たずに野垂れ死ね。おまえにはそれがお似合いだ。 …暗いところで見るあんたは悪魔のようだなぁルード。魂抜かれそうだ。 分かったよ。あんたが欲しい。 自由な方の腕を持ち上げるとルードの左胸に掌を押し当て、渾身の力で握りしめた。一瞬息を詰めたルードの、静かな吐息が俺の指を湿らせる。 もう待たない。それを寄越せ。この俺に。俺だけに。どんな手を使っても、何を引き換えにしても、例え引きちぎった欠片でも、必ず俺が手に入れる。 うっかり忘れるとこだった。 俺はその為に生きてきた。 「…外に出たら俺より先に、地面とディープキスさせてやる」 「…それは楽しみが過ぎてこんなところじゃ眠れんな。おまえの口だけの威勢には飽きてたところだ」 夜が明ける。 闇の中でもそれが分かる。 俺らが戻るまでのしばらくの間、そこで怯えて待っていろ。世界。 |