「山南先生の講釈聞いてると眠くなるんでな」 芹沢が席を立った。 「僕も眠くなっちゃうんですよね」 続いて沖田。 あらら。 俺も、と口の中で呟いた土方は近藤に膝をつねられて座り直した。 山南は相も変わらずこたえたんだか気にしてないんだかさっぱり分からない半端な笑顔だ。だがしかし心持ち視線が斜め下。様子を案じて人の良い近藤が身を乗り出した途端 「そういえば局長、隊士募集の件ですがいずれ江戸へ」 数秒もおかずに生き生きと的はずれなことを語り出した。 「うるせえんだよあんたは!それは俺が今勝ちゃんに話し」 「歳!」 山南は傾げた首を更に傾げてこちらを見た。 「話してたんですか?」 「…話そうと思ってたんだよ。つか今まさに話すとこだったんだよ」 「それは失礼しました。存じ上げず出過ぎた真似を」 「あんたが俺の腹を存じ上げる訳ねえだろ!」 「歳、静かに話せないのかおまえは。いちいち怒鳴るな」 土方が杯を呷りついでに山南を窺うと、とっくに芹沢のことも沖田のことも土方のことも忘れたように、井上に向かって狂言の由来をつらつら語っている真っ最中だった。 山南という男は学があり、剣も立ち、弁も立つ。 土方とて何もせっかくあったり立ったりするものを邪魔には思わない。自分にないものを他人に補わせることにも躊躇いはない。そのために隊士を集め、完全無欠の集団にすることに心血注いでいるのだ。 自分が毎日こてんぱにされていた沖田を一瞬でのしてくれたことが、気にならないと言えば嘘になる。 近藤が山南の私情入り交じった講義をありがたがって拝聴していることが、気にならないと言えば嘘になる。 時も場所も選ばず始まる長い蘊蓄や、癇にさわる声音や、捻るとぽっきり折れそうな細い体が、気にならないと言えば嘘になる。 気にくわない要素はそれこそ絞れば絞るだけ膿のように湧き出すが、奴を目の前にした時のこの苛々はどうにも、別のことだ。 邸が寝静まった頃、約束どおり井戸端で山南とおちあった。 「おう」 「お疲れ様でした」 「広沢とは?」 「…広沢様でしょう。明後日近藤さんが話をつけに。芹沢さんの所業に話が及ぶかと」 「近藤さんひとりじゃ心許ねぇ」 「無論我々も参りましょう。たとえ近藤さんが揺らいでもふたりがかりでまくしたてれば何とかなります」 「局長をひとりに絞るっつーことでいいんだな。腹ぁ決まったんだな」 「新見さんに気をつけて。目先がききます」 「ずる賢いと言わねえとこがあんただよ」 副長ふたりは視線をそらせたまま、出来得る限りの早口低音であっという間に打ち合わせを終えた。どれほど気に食わなかろうが、今は芹沢一派の息の根を止めるに選んだ相棒だ。芹沢を葬れば浪士組の名がひとつになる。京で近藤を男にできる。 「沖田くんが芹沢さんに心酔しているのが、ちょっと気になります」 山南は全く気にしていない口調で言った。いつもそうなのだが山南の声は、声だけ聞くと上滑りする。本人のせいではないのだろうが、土方はまた勝手に神経を逆撫でされた。 「…総司はガキだ、それだけだ。今更くだらねえこと言うんじゃねえよ」 「申し訳ありません」 そうだ。それだ。これが気にくわないのだ。 「なぁ。あんた腹は立たねえのか?」 「は?」 井戸縁に凭れて腕組みをした山南が、初めて縁に手をついて髪から雫を落とす土方を見た。 「…たとえば、ほら、宴会で芹沢と総司があんたの蘊蓄蹴って席立ったろうが」 「ああ」 前世は何かと聞いた訳でもなかろうに、山南の視線は遙か遠くに焦点があい、ゆっくりと土方に戻った。 「別に」 「別に?」 「腹を立てたほうがよろしいのですか?」 山南の目はいつも三日月のように笑っていて、こうして見下ろされると真っ黒で底がない。 「…よろしくもねえが。俺なら立つね」 「いちいち立腹していては追いつきません。疎ましがられるのには慣れています。私はどうも、人に好かれない」 分かってんじゃねえか。 「何故だか分かりませんが」 分かってねえんじゃねえか。 「性分なので、分かったところで改まるという道理もない。諦めております」 土方は勢いよく首を振って一気に水気を落とした。 飛んだ水滴を避けようと、山南は実にさり気なく一歩離れた。 「教えてやるよ。あんたのな、その何を言っても涼しい顔で聞き流すとこが嫌われんだよ。誉めりゃ謙遜、咎めりゃ謝罪、のらくらされりゃあ熱くなったこっちゃ舐められてたと感じるもんだ」 「…しかし相手に合わせて感情的になっていては子供の喧嘩ではありませんか」 「感情的で悪かったな!」 「悪いなどとは一言も。いえ土方さんが感情的などとは、私は」 「俺はな、素直なんだよ。あんたは素直じゃねえんだよ。素直じゃねえ奴は嫌われんだよ。分かったか」 言うだけ言って袖でぐいと顔を拭うと、山南は腕組みしたまま土方をじっと見ていた。真顔だ。常時笑顔の輩に急に普通にされると肝が冷える。 「…なんだよ。怒ったか」 「それでは素直に申し上げますが、私は土方くんに一等嫌われているように思います」 「それがどうした」 「不愉快です」 しん、と空気が冴えた。 「私も人間ですから、普段は抑えておりますが、こうも剥き出しに嫌われますと心中穏やかではありません。したがって私が素直になりますと最も被害を被るのは君ですが、その点は重々覚悟の上でのご発言でしょうか」 土方の脳裏を一瞬北辰一刀流の構えが過ぎった。免許皆伝の四文字も。叩きのめされて奈落の底まで落ち込んでいた沖田も。 「…暴力はよくねぇと思わないか山南さん」 「返事になっておりません」 そのへんに芹沢一派でも隠れていないもんか。 土方は見当違いのことを考えた。こういう時にこそ斉藤が夜稽古でもしていないだろうか。 「土方くん」 …いや、こいつとは本音でやり合わねえとまずいかもしれない。ただでさえ意見の一致をみたのは今回の芹沢一派壊滅が初めてなのだ。もうないかもしれない。これが最後の機会かもしれない。 「…ああそうだ。いいぜ。言ってみろ」 山南はふうと溜息をついた。 「それでは申し上げます。私は君を近藤さんを想う者として、人の上に立つ者として尊敬しております。多摩からご一緒して歳もそう変わりませんから、親近感のようなものも抱いております。そのような相手に嫌われるのはとても悲しい」 「は?」 「悲しい」 山南は一語一語はっきり言い終わると、土方に向き直った。 男にしては長い睫と、目の中がゆらゆら揺れている。 まさかと思った次の瞬間。 「それでは泣きます!」 「わあああああああ!」 土方の絶叫は中途で目の前の男の掌に塞がれた。 あちこちでガラガラと障子が開く気配がする。 「……ほら。困るのは貴方ではありませんか」 山南はそれはそれは勘にさわる声でくすくす笑った。そうしながら、確かに、涙を拭いた。 今夜は眠れそうにない。 こいつの講釈でも聞かねえと。 |