「どうする」
 耳元でルードが囁いた。
「殺るか?」
「……気がのらないぞ、と」
 崖下を行くのは明らかに本家アバランチの一派で、向こうはこちらに気付いていない。気付いたところで手持ちの銃器じゃここまで届かない。岩を蹴り落とすだけでトマトのように連中を潰せる。潰せるが。
「殺るには天気が良すぎるんだよなぁ…」
「そうか」
 ルードはあっさり岩から足を退けた。
「ならやめておこう」
 空は青く、空気は澄み渡り、調査の為に訪れた廃墟は草に埋もれ、あちこち残る石碑が荘厳な雰囲気を醸し出し、俺の気分はほとんど呑気なピクニックだった。この長閑な空気を壊すのが惜しい。
「相棒、これ俺の我が儘だ。たまにはダメ出ししてもいいんだぞ、と」
「気分は大事だ」
「すーぐ甘やかす」
「嬉しいくせに」
 ルードは倒れた石碑に腰を下ろし、次の探査地点の情報を集め始めた。俺は鼻歌混じりに景色を眺め、端末を弄り、合間にルードに目をやった。顔は端正だしスーツの背中は本人のかっちりした性格を具現化したように綺麗だしとにかく体の線がいい。喉も。指も。こんないい男が自分に甘い。気分がいい。怪我もしてない。暑くも寒くもない。急ぎの仕事もない。…いい日だ。
 歌のテーマになりそうに美しい日。
「レノ」
「はいはい、と」
 呼ばれて覗いた画面の上を長い指がするする滑る。
「この2箇所。基地からはどちらも半端な距離だが、幸い今日は予定に余裕がある」
「じゃ補給兼ねてジュノンから飛ぶかぁ」
「そうしよう。俺で何回抜いた?」
「……悪い、ちょっと聞いてなかった」
「俺で何回抜いた?」
 端末を終了させようとキーを叩き、2、3度ミスった。よくある。この機種はキーが押しにくいことに定評がある。ジュノンで新商品チェックして備品申請を通さないと。
 見上げると晴れ渡った空を横切って鳥が鳴き、風が頬を撫でた。いける。
「なぁ相棒…こんないい天気はひさしぶり」
「さっさと答えろ」
「うるせえよ!!!」
 いけなかった。
「何唐突に下ネタぶちかましてんだ空気台無しじゃねえか!素晴らしき世界紀行観てる途中でいきなりAV映ったら当然の流れとして言葉を失うわ!しかも俺でってなんだ、なんでよりによって相棒で抜かなきゃならねえんだ、俺の相棒は神羅の公式セックスシンボルかなんかか、世も末だな!?」
「一度もないか?」
 ルードは俺の目を、たった今大金落とした井戸でも探るようにじっと見た。
「本当か?」
 美しい風景と、あくまで大真面目な相棒と、意味は分かるが理解ができない音声が、バグって全部ずれている。
 …俺が何か妙な真似したか?それっぽいこと言った覚えもない、必要以上に触った覚えもない、そりゃまあ酔ってほっぺにちゅーぐらいしたかもしれないがその程度ならツォンさんにもやらかした、そういえば最近あの人俺に冷たいな、自分が人から軽く見られるのは重々承知だから余計に生活態度は品行方正、断じて口も手も出してない。いける。
「…なぁ相棒、驚きすぎて気づかなかったがこれ普通にセクハラだ。訴えてもいいレベル。尊厳を踏みにじられて俺の心は傷ついた。オーケールード、法廷で会おう。訴状が届くまでこの話は無しだぞ、と」
「質問に答える気はないんだな」
 ルードはにこりともしなかった。
「おまえに尽くすこの俺の質問に答える気がない。相棒への裏切り。すなわち処刑」
「オーケーやっぱり示談だ」
「答えろ」
「覚えてない」
 ルードは端末を脇に置き、ゆっくりと足を組んだ。
 俺は足元で無駄に光る草原を見ながら、今すぐ隕石が落ちてくる事をひたすら願った。
「…したかどうか覚えてないという意味か。それとも回数なんか覚えてないほどやりましたという意味か」
「…やりました」
「それでこれなのか」
「これとは…」
「視姦が露骨だ」
 目。あー目。目か。なるほど。
 今すぐ割れないかなー星。
「それ自体は別にいい、減るもんじゃないし多少減ってもおまえなら別に。ただおまえの目は本当に肌を舐めてくるからせめて人前では控えてくれ。露骨過ぎてツォンさんどころか社長にバレてる。あんなどろっどろの視線喰らってよくまともに立ってられるな不感症なら医者に行けなどとあらぬ御心配を賜る俺の気持ちも慮って欲しい。以上だ」
 ルードは淡々と話し終えるとポンとスーツの裾をはらって立ち上がった。
 俺は毎晩磨き上げた得意の妄想力で若社長の胸ぐら掴んで頭から床に叩きつけようとしたが、犬に噛まれて巧くいかなかった。
「じゃ行くか」
「………何処に」
「だからジュノン…」
 賢明な相棒はそれどころじゃない俺の状態に気がつくと、腕を引っ張って隣に座らせた。
「レノ。落ち着け。責めてない。視姦自体は一概に犯罪とは」
「黙ってて…」
 ルードは黙った。
 この心優しい相棒は頭の中で好き放題使われてると知りながら、純粋に厚意で性欲と縁のないこの原っぱで切り出してくれたのだ、薄暗いバーなんかじゃなく。ありがとう、意味ない。余計恥ずかしい。
 もう羞恥と絶望が限界突破した。目。目って。昔から綺麗だのオーラが凄いだの褒められた俺の目が調子に乗って欲望垂れ流し。いったい俺はどうすれば。よりによって目って。口や手なら止まるが目って。止めようとしたら潰すしかなくないか。嫌ですけど。
「…ルード」
「…何だ」
「なんか俺が落ち着くこと言ってくれ…」
「…こんなにいい天気はひさしぶりだな」
「やっぱりいい…今日は別行動してくれ…」
 しばしの沈黙のあと、ルードはあろうことか舌打ちするなり立ち上がり、俺の前に膝をついて手首を引っ掴むと至近距離で顔を覗き込んだ。
「足りないんだろう、見てるだけじゃ」
「近寄んな触んなヤバい!」
「注文が多い。今日の分はもう聞いた」
 ヤバいヤバいヤバい直視できない。低音で息吐くように喋られてただでさえ空間が狭いのに空気が足りない。
「こんな物欲しそうな目してたら誰に何されるか分からんぞ。俺は誰かの代わりなのか、単にひとりでやるのが好きなんだと思ってた。違うんなら早く言え」
 言えってなんだ。言ったらしてくれんのか。嘘だろ。もう入れればいいとか出せばいいとかそういう次元じゃねえぞ。俺の妄想の翼を舐めるな。
「……無理」
「言えば楽にしてやる」
「……無理無理絶対無理言ったら死ぬ」
「ならここで死ね。いい日和だ」
 じりっじり近づいてくるルードの顔は唇が触れそうになった瞬間ふっと横に逸れ、それでも距離が詰まり続けて上半身がぴったりくっついた。背中を駆け上がる快感が、あっという間に長年こねくり回した妄想を木っ端微塵に破壊した。嘘だろ。これでこれか。本物凄い。怖い怖い怖い。怖すぎて涙出てきた。
「どうする」
 耳元でルードが囁いた。
「やるか?」
 …そうだ、あの時だ。
 あの時あいつらをぐっちゃぐちゃのトマトにしておけば良かった。あそこで間違えた。そうすればこの世界線は消滅した。あの広く美しく堂々と後世に歌い継げる世界はどこに行った。どんどん世界がこいつ目掛けて収縮してくる。
「気がのらないならやめておこ…」
「のりました!」
 含み笑いと一緒に俺の髪に焦がれに焦がれた指が滑り込む。
 さよならルード以外のみんな。ちょっと死んでくる。


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